[友人以上]


 藤見逸子について紹介しよう。俺は彼女と大した関わりがないので、外見的な見解と周りの評判による憶測しか言えないことをあらかじめ補足しておく。
 藤見は俺の隣のクラスだ。うちは一番西側だから、必然的に東側の。顔を合わせる機会は基本的にないのだが、昼休みには弁当を食べに友達と必ず中庭に行く姿をよく見かける。
 印象に残っているのは、購買で激戦を繰り広げる男子の後ろを、手作り弁当片手に颯爽と通り過ぎていく姿。渡り廊下から流れ込んでくる風に、少しカールのかかった髪をかき上げたりなんかして。うっかり見とれていたら、順番を抜かされたりするやつもいたりする。俺も体験したことがあるというのはここだけのはなしだ。
 つまり通りすがりでも彼女にはそれだけの存在感があるってわけだ。鼻から唇にかけてのラインがきれいな横顔とか、くっきりと線の入った二重まぶたとか、それにかぶさる長いまつげとか。
 目もでっかくて、端的に言えば、美人。背も高くてスタイル抜群だから、モデルみたいだ。実際小さい頃は雑誌のモデルをしてたとかしないとか。
 成績などはもちろん俺が知るよしもないが、クラス委員をやっていて、上手くみんなをまとめているという話は聞いた。少なくとも美人の言うことを聞かない男はそういないから、これは至極納得できる。高校生にもなると、好きな子はいじめるより優しくした方がポイントが高くなる、と学んでいるのだ。
 年に一度の持久走大会での活躍を見る限りでは足も速いらしい。正確な順位まではさすがに記憶していないが、十位以内に入っていたことは確かだ。神様は平等に人間を作っているのか問いたくなる。
 ここまで並べて俺の身近なとあるマルチ人間を思い浮かべた人、たぶん俺も同じことを思ったよ。藤見逸子は女版陸島直行なのだ。
 だから二人がお似合いなのは当たり前なわけで。その二人が並んでいることに文句をつける人間は誰もいない。もちろん俺も。
 藤見逸子は――、つまるところ陸島直行にかつてないほどふさわしい「彼女」なのである。

 がん、と鉄の塊を叩きつける。丸い傘を傾げて、釘がくの字に曲がった。ちょっと重心がずれていたらしい。もう一度やり直さないと使い物になりそうにないな。
「あーあ、一向に作業が進まねぇ」
 誰にともなくぼやく。ぼやいてないとやってられない。何せ、これで三回目なのだ。仏の顔も三度まで、という言葉がこの場合にも適応されるならば、俺は仏のお怒りを受けることになるのだろうか。
「よそ見してっからだろ」
 屈んでいるわき腹の辺りを軽く蹴られる。軽い衝撃にかなづちを落としかける。痛くはないが、無防備でいたところに入ったので、衝撃をもろに受けた。
 存外早かったな、仏! 俺一人をずっと監視していたとは、あんたもたいがい暇なんだな! あ、死んだらみんな仏になるから、たくさんいるのか。どうなんだろ。
 どうでもいいことを考えながら顔を上げると、黒い棒が視界を遮る。それが仏の姿なのかと思えば、友人が差し出した釘抜きでした。そう簡単に見えるわけないよな、俺こてこての一般人だし。
「さんきゅ」
 受け取ろうとするが、思いのほか友人の握る力が強かった。抜けない。俺は両手で柄をつかんで、しかも身体を後ろの方に傾けているのに、彼の片手の方が強い。俺は力も平均値なんだぞ。どんだけこいつは逸脱しているんだ。
 どういうつもりなのかと、さらに上の方にあるブリーチのかかった金髪を見上げる。最初見たときはバリバリの不良スタイルに多少ビビッたが、接してみると面倒見のいいやつなのだ。文化祭準備期間中の現在だって、彼はちゃんと「長嶋」という名前の入ったジャージを着ている。彼がこんな意地の悪いことをするのはとても珍しい。
 じっと見つめつつも真意を図りかねていると、長嶋は短い眉毛をゆがめた。
「ぼんやりしすぎだ」
「休みボケでね」
 夏休みが終わってからまだ一週間も経っていない。生活リズムを完全に戻すには、まだ時間が足りなかった(休みをだらだらと過ごしすぎたのだ)。
「何考えてた」
「もちろん文化祭のこと」
 俺は即答する。
「はぐらかすな」
 彼も即答してくる。何を、俺の思考を決め付けるな。お前はエスパーか。
 言い合いながらも下では釘抜きの引っ張り合いが続いている。こっちは軍手をしている分力が入りにくい……ということにしておく。純粋な握力でも長嶋には負けているけど。
 眼力においても俺の方が負けていて、長崎は切れ長の眼をさらに細めて俺をにらみつけてくる。本当に心を読み取られてしまいそうだ。ちょっとひるむ。
 鋭い長嶋は俺のひるみにすぐさま勘付き、口を開きかける。が、運は俺の方に向いているらしい。
「遊んでないでよ、二人とも!」
 クラスメイトの妨害によって、長嶋は口を閉ざさなければならなくなった。遊んでいるわけではないが、準備を進めていないことは事実なので、長嶋は大人しく手を放す。ただしそこで引き下がってくれる相手ではなく、長嶋は小さく舌打ちをする。
「今度はちゃんと聞くからな」
 長嶋、それ、まるきり悪役の台詞に聞こえるぞ。俺のことを心配して言ってくれているのは分かるんだけど。つくづく損な顔立ちだな。
 クラスメイトの方も長嶋が悪役だと思ったらしく、幼い顔立ちをきつくして長嶋をにらみつける。長嶋はため息を一つ残して、自分の持ち場に帰っていった(確か廊下で大道具を作っていたはずだ)。
「喧嘩でもしたの?」
「いや、何でもないよ、久本」
 久本は小柄ながらも正義感の溢れるやつで、体格のいいやつにも真っ直ぐぶつかっていける強い性格だ。それゆえに見た目が悪役っぽい長崎とは対立しがちなので、ここは慎重にフォローしておく。
「俺がぼんやりしてたからさ。どうしたのかって、聞かれたんだ」
「んー、確かにちょっと元気なさそうだったね」
 傍目に見ても分かるのか。よほどしょぼくれた態度をとっていたのだろう。一応隠していたつもりなだけに、いささか気恥ずかしい。
 そんなときに、全てが片付く魔法の言い訳がひらめいた。よし、俺珍しく冴えてる。
「夏休み終わって憂鬱なんだよ」
「ああ、分かるかも」
 期待通りに、久本は笑って納得してくれた。別にそこまで親しい仲でもないし、一般論を言えば疑われることはないだろう。長嶋だったら絶対つっこんでくるけど。
「でも、文化祭があるじゃない。準備を頑張って、みんなで盛り上げよう?」
「そうだな」
 そこで見事に会話が帰結し、久本が腰を伸ばす。おお、鮮やかな会話の終わらせ方だ。友人が多いやつはさすがだな。
「看板、よろしくね」
「おう」
 軽く手を上げて久本を見送る。そちらの方にうっかり直行の姿を見つけてしまって、俺は慌てて視線をそらした。堂々としてた方が怪しまれないんだけど。ここで平生を装えるほど、俺の神経は図太くない。
 とはいえ、俺が態度を変える理由なんて一つもないのだ。直行は俺から離れていった。それでも、絶交を宣言されたわけでもないし、幼馴染をやめたわけでもない(つか、幼馴染ってしたくて解消できるもんじゃないだろう。幼い頃親しくしていた事実は変えられないんだし。変えられるなら、俺はとっくに変えていた)。
 何でもない。久本に言った言葉は、ある意味正しい。
 これは、何というか、俺のエゴなのだ。誰かと親しげにする直行を見ていたくない。あんなに一緒にいたかった直行だけど、一緒にいることが当たり前になっていた直行だけど、だからこそ今は見ていたくない。
 開いた距離を確認するのが怖い。
 ――考えるな!
 気を抜くとすぐにうじうじした考えに流されそうになる思考を、捕まえる。それをそのまま釘とかなづちでこの場に打ち付けたい。今考えるべきは文化祭のこと、それだけ。
 文化祭は九月の下旬で、つまりはもう数週間しか残っていないのだ。文化祭といえば言わずもがな学生生活での一大イベントであって、ここで気合を入れなきゃ学生生活の半分は損をすることになる(たぶん)。
 俺自身が気を抜いてみんなの楽しみの半分を奪うわけにはいかない。久本も言ってただろ。みんなで盛り上げるから意味があるんだ。
 俺は気分を入れ替えて、釘抜きを折れ曲がった釘の根元に差し込んだ。力点に力を入れると、真新しい釘は簡単に抜けてくれる。てこの原理は単純なのにすごいな。
 ささやかな感心は俺の気分を少し浮上させてくれる。大丈夫、という気がしてきた。目の前のやるべきことをやっていれば、俺はいつもどおり振舞っていられる。
 今なら釘も曲げずに打てる気がした。文化祭への真っ直ぐな思いを、ちゃんと打ち込むんだ。
 俺は新しい釘を、既に開いた穴を隠すように差し込んで、かなづちを振り下ろす。
「だから、だりーって言ってんだよ!」
 横から不愉快なわめき声が飛んでくる。俺のかなづちの進路が、反れた。ガン、とかなづちが板を打つ。横たわる曲がった釘。
 四度目。
 さすがに俺は頭を抱えてうずくまった。
 いやいやいや。最近悩むのに慣れてきたせいで、大分耐性ついてきたぞ。へこみながらも、頭は冷静に考え続けることが出来る。
 今のは俺、絶対悪くないだろ! 文化祭準備に相応しくない発言をしたやつが明らかに悪い!
 瞬時に判断した俺は、諸悪の根源である声の主を視界に収めるべく、廊下側に振り返った。ドアの前には久本、長嶋、数人の女子が立っていたが、肝心の声の主はうかがえない。明らかに男の声だったし、長嶋や久本があんなことを言うわけがない。みんな同じ方向を向いているから、そちらに犯人がいるのだろう。
 苛立ちが勝る俺はちょっと積極的で、かなづちと釘抜きを置いて立ち上がり、廊下へ向かう。クラスメイトは騒ぎに気付いて作業の手を止めながらも、遠巻きに廊下を見ている。
 俺はドアから身を乗り出し、廊下の様子をうかがった。人を見かけで判断しちゃ悪いけど、誰が騒いでいたかはすぐに分かった。みんながジャージを着ている中、一人着崩した制服(色々缶バッチとかがついていて「崩した」ってレベルじゃない)を身に着けたクラスメイトが、廊下の中央に陣取っていた。
 髪は紫色に赤のメッシュ。長嶋ばりに派手で、どちらかといえば不良に分類される人物であることは、一目瞭然である。
「も、もう少しで文化祭なんだから、手伝ってよ……」
 女子の一人が口を開くが、既に押され気味である。長嶋がいる効力で少しは均衡が取れているものの、いつでも殴りかかってきそうな雰囲気のクラスメイトにびびるのは、仕方がない。
「クラスのみんなでやるから価値があるんだろ! 君もクラスの一員なんだから手伝えよ!」
 そんな中で果敢に口を開くのは、やはり久本である。不良と久本の身長差は十五センチ以上ありそうだが、まったくひるむ様子がない。だがひるまないのは不良の方も一緒で、身長差を見せ付けるかのように背筋を伸ばし、上方から久本を見下ろす。
「俺はこれから用事があるんだよ。俺の貴重な時間を削っておいて、どう弁償してくれるつもりだよ!」
 ちなみに今は先生が本来なら授業をやるところを文化祭準備に当ててくれた時間で、普通に授業中である。これから用事があるもくそもない。先生に報いるためにも学校にいて文化祭準備をやるのが当然だ。
 だのに不良はさも自分が正しいのだと言いたげに久本をにらみつけてじりじりと追い詰める。久本も負ける気はないのだろうが、どうしても体格がネックとなって決定打を打ち出せない。
 さっきから立っているだけの長嶋は論外だ。長嶋はあまり口喧嘩が得意ではない。口を開いた瞬間に拳での喧嘩に発展してしまうだろう。ここで暴力事件を起こせばクラスに多大な迷惑をかける。文化祭でペナルティを受けるかもしれない。
 周りのために、自分に出来ないことはしない。やれることは全力でやる。そういうやつなのだ。
「文化祭程度できゃいきゃい言ってんじゃねーよ。どうせ数日間で壊す玩具だろ?」
 対抗する術がないことに気を良くしたのか、不良が饒舌になる。薄ら笑いを浮かべて長嶋に視線をやる。長嶋の目元がぴくりと動く。こいつ、長嶋の性格を分かってて挑発してるな。
「すぐ壊れる子供の玩具に、何の価値があ」

 不良の言葉が途中で止まった。おそらく、目の前に異分子が飛び込んできたからだろう。流れを遮る障害物に、不良はいったん体勢を変えなければならず、わずかに身が後ろに下がる。
 聞き捨てならない。俺が悩みを振り切って大切にしようと思っていたものを、ことごとく否定しやがって。おかげで釘を四本も無駄にしたじゃないか(そのうちの三本は俺が勝手に駄目にしたんだけど)!
「橘内君……」
 久本が呟く。長嶋が無言で肩をつかんできた。そこに込められる力の強さから、どれだけ俺をどかしたいのかが伝わってきたが、俺は動くわけにはいかなかった。
 俺は久本たちと不良の間に割って入って、不良と対峙する。迫力がないのは承知の上で、俺は精一杯眉間にしわを寄せてガンを飛ばす。俺の頼りないにらみと、不良の鋭いにらみが、交差した。



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