[友人以上]
夏の花・下 俺はじゅうたんに背をつけた状態で、直行を見上げていた。直行の顔が正面に見える。右半分が夕日を浴びて、ぼんやりと赤くなっていた。 下を向いているため浴衣の裾が俺の方に垂れ下がってくる。アクティブに侵入してきたまま直されていない浴衣ははだけていて、鎖骨がよく見えた。胸元がきわどいところまで開いていてドキッとする。 しかしここで気を取られて力を抜くるわけにはいかない。ここは戦場なのだ。 俺は直行に手首を押さえつけられ、床に押し倒されていた。 「自分で脱ぐ」 「遠慮するなって」 「子供じゃないんだから」 「そう言わずに」 言いながら肘を折って接近してくる直行を、膝を立てて何とか制止する。腕が動かない分こちらの方が不利だ。力でも負けている。 ええい、くそ! ロッククライミング(?)で余計な体力を浪費しているはずなのに! どこからそのパワーが出て来るんだお前は! 「甚平くらい、自分で着れるっつーの!」 叫んで、足を勢いよく上に突き出す。わき腹を蹴り飛ばそうとしたが(手加減はなしだ、そんなことをかまっていられる場合じゃない)、直行は左手をさっと外し俺の脚を掴む。 足は捕まったが手は自由になった。しめたと言わんばかりに素早く直行の右手に手を伸ばす。そのまま直行の腕を捕らえて引き剥がそうとするが、その前に直行の手が離れていく。 不意をつかれて、思わず呻く。俺の左手はあっけなく空をかいた。 横から直行の右手が再び襲い掛かり、今度は両手首をまとめて押さえつけられてしまう。しまった! 「ふっふっふ、逃げられないぜ?」 直行はまるっきり悪役じみたセリフを吐く。口角を片方だけ吊り上げる。顔がいいと悪役も似合うときた。何だか別の敗北感を感じてならない。 開いた方の手で、直行は俺のシャツを捲り上げる。肌の熱を遮るものがなくなって、涼しくなった。空気中に熱が逃げていく感じがする。 「有火、汗びっしょりだな」 「直行がいらん運動させるからだろ」 むしろ、俺よりもずっと動いているはずの直行が汗をかいていないことが不思議でならない。夕方になってかなり涼しくなったとはいえ、俺の部屋は相変わらず蒸し暑かった。浴衣だと俺よりも肌が出ている面積も少ないはずだ。 直行は相変わらず涼しい顔でほざく。 「それは有火君が素直じゃないから」 俺は今度こそ膝小僧で直行のわき腹を小突いた。さすがに直行の表情が驚きで崩れる。大して強くけらなかったはずだが、わざとらしくわき腹を押さえて呻く。 「乱暴だな」 「どっちが」 乱暴に押さえつけられてるのは俺の方なんですけど。いい加減手を放してくれないと、手首の辺りが汗だくになってくる。床に近いところの空気は確かに少し涼しいけど、温まってきたじゅうたんはだんだん暑くなってくる。 じろり、とにらみつけると、直行はしぶしぶ手を放した。唇の先を尖らせて、「ちぇ〜」と漏らす。不平を漏らしたいのはこっちだ。俺は解放された手で直行の鼻をつまんでやった。高い鼻はこういうときにつまみやすい。 身体を起こして、背の低い洋服ダンスに積まれている洗濯物の中から、タオルを引っ張り出す。旅館でただでもらってきたので、紺色の文字でお店の名前が印字さえていた。それで汗を書いた首元を拭う。べとべと感が消えると、涼しくはならないが不快感は半減した。 「ついでに身体も拭いておくか」 直行が俺の手からタオルをひったくる。反射的に取り返そうと手が伸びるが、直行が手を引いたため届かない。 「はい、ばんざーい」 ……どうやら、あくまでも自分で着替えさせたいらしい。ばんざいして服を脱ぐだなんて、幼稚園生か俺は。 さすがに恥ずかしいので渋っていると、直行の手につかまれ、強制的に両手を上に持ち上げられる。 「ばんざい」 腕を掴んだまま、真顔で言う。なんて無駄に真面目な顔なんだ。こっちが駄々をこねているだけの気分になる。 直行は俺がぼんやりしている隙に、シャツを引っこ抜いた。濡れたシャツの表面が肌にへばりつきながらも、直行の力に逆らいきれず剥ぎ取られる。空気の流れが肌を撫でて冷たく感じた。わき腹を風にくすぐられて思わず身震いする。それを寒いのだと感じ取ったのか、すぐさまタオルが腹部にかけられた。 「早く拭いておかないと風邪引く」 ついでに、夏風邪は馬鹿が引くんだよ、と付け足される。うるさい、余計なお世話だ。俺はタオルの端を持って勢いよく振り上げるが、タオルはふわりと翻っただけであまり攻撃力はなかった。 タオルで身体の表面を拭くと、身体にまとわりついていた不快感が半減する。水分が取り払われて肌がやっと呼吸できるようになったという感じだ。人間にとって皮膚呼吸がどれくらいの割合で行われているのかは知らないが、汗まみれだと息苦しくなる感じがする。 選択しすぎてぱさぱさになっていたタオルはあっという間に水浸しになった。すごいな、俺はこんなに汗をかいていたのか。 「すっきりした」 「そりゃ、これだけ汗を拭けばね」 部屋にエアコンがある直行は、夏の個室がどれだけ暑いのかを知らない。俺の汗の量に驚いたのか、タオルをつまんで苦笑する。 「とりあえず上着ちゃおう」 直行は甚平を上着を手探りで探す。柄が一緒なので見ただけではどっちがどっちなのか判らない。程なくして、袖が二つある中央のぱっくり割れた布が発掘された。 直行は袖の上辺りの襟首を掴み、上着を広げて俺の肩にかける。直行の腕が俺の目の前を横断し、一時的に直行の顔を隠す。 背中からふわりと甚平の布地が当たった。裏地には薄い肌触りのいい布が縫い付けてあり、直接肌に着ても不快感はない。たぶん子供用とはいえ大量生産の安物ではないんだろうな。手でこすってみるとさらさらした。 「腕、通して」 「いや、もう自分で着るし」 「ちゃんとした着方判んないでしょ」 確かに知らないので言い返せない。ちゃんとした着方があることさえも初耳だ。甚平は着たことがないわけではないが、小さい頃は親に着せてもらっていたため、結局自分一人で着付けたことはなかった。 仕方なく黙って肘を折り曲げる。肩を内側に縮ませながら、拳を袖口に入れる。両腕と押し終わると、直行が襟元を掴んで形を整える。 こいつは何で甚平の着せ方が判るんだろう。直行だって大きくなってからは甚平を着る機会などあまりなかったはずだ。そういえば他にも、無駄に色々な知識を持っている。何でそんなこと知ってるんだ、という文句をたびたび直行に突きつけたことがあるが、「俺は何でも知っているんだよ」と冗談か本気かよく判らない答えがいつも返ってきた。 本当に何でも知っているのだろうか。例えば俺の気持ちとかも。 直行は甚平の前を重ね合わせる。右側が下で左側が上。右側は裏についている紐と結び合わせる。左側は外の脇についている紐と結ぶ。 紐をいじる直行の腕が時折俺の肌に当たる。うつむいた頭がすぐ傍にある。出てくる前に風呂に入ってきたのだろうか、さらさらの髪からはかすかに石けんの香りがした。 近いな。思わず触れたくなって、その衝動を抑える。触れれば気づかれてしまいそうだった。身体が熱いこととか。胸が熱いこととか。 俺はこんなに近くにいても直行の考えていることはさっぱり判らないのに、直行ばかり色々なことを知っている。直行ばっかり。 「ずるい」 「え?」 ポツリと呟くと、直行が顔を上げた。髪の毛がかすかに頭を掠める。どきりとして、反射的に背中を反らす。 「ああ、ごめ……ん」 ぶつかったと思ったのか、直行が謝ってくる。違う。違くて。直行は悪くない、と言おうとしても、代わりの言い訳が出てこない。まさか正直に言うわけにもいかない。 どう説明しろと言うんだ。友達相手に意識してどきどきしてしまっただなんて。 冗談じみた台詞を言い合っているときにはまだ友達という関係を忘れないで済む。だけどお互いに黙っているときは、どうしようもなく意識してしまうのだ。 直行の髪、直行の指。短期留学の間しばらく離れていたせいで、一つ一つに反応してしまう。俺はこんなにも直行欠乏症だったんだ。 「有火、大丈夫か?」 「何で?」 思いもよらない言葉が出てきて、俺は首をかしげた。顔が熱くて、上手く直行を見れない。少し視線をそらしたまま尋ねる。 どうしてこんな些細なことにいちいち熱くなるんだろう、俺は。直行が傍にいる。いつものことじゃないか。どうってことない。落ち着け。 自分に言い聞かせてもあまり効果は出なかった。直行が不審そうに眉をひそめる。 「顔が赤いぞ、熱でもあるんだろう」 「ま、マジで?」 俺は慌てて自分の頬を押さえた。室温も高いのでよく判らないが、確かに熱い気がする。どきどきがしっかり顔に出ていたようだ。 あー、俺って馬鹿! どうして何でもないふりができないんだ! いくら好きだからって、友達のふりを続けないと。だってこんな気持ちを押し付けたら、直行はきっと困るだろう? 俺は直行の困った顔なんて見たくない。 「何でもない! ……夕日のせいだろ」 「もうすっかり日は落ちてるけど」 言われてみると、外はかなり暗くなっていた。そういえば電気をつけていたので気づかなかった。 直行がそっと俺の額に手を載せた。少し上にずらして俺の前髪が上に掻き揚げられる。やっぱり俺は少し熱があるのだろうか、直行の手がほのかに冷たく感じられた。 直行が俺の後頭部に手を回す。髪の間に直行の指が忍び込む。直行の顔が近づいてきた。 こつん、と硬い頭蓋骨同時がぶつかる。柔らかな皮膚が額に触れた。 それを合図に、俺の身体が発火する。頭から熱がばっと下りてきた。全身に熱さが回って目が回りそうだ。 超至近距離。直行の顔がアップに見える。キスをするときより数センチ手前。直行の吐息がかすかに鼻にかかる。ここに来る前にガムでも噛んでいたのかほのかにミントの香りがした。 生殺しだ、この距離。直行に触れているのに触れている面積自体はとても少なくて。直行とキスできそうなのにできない距離。 直行の息と感触、それと体温が、直接肌に乗ってくる。熱い。心臓のどきどきが止まらない。 直行の顔はやたらとはっきり見えるのに、意識は熱にのぼせてぼんやりしてくる。もっと直行を感じたい。そう訴える本能のままに、俺はあごを押し上げて直行の唇に――。 遠くで、何かが破裂する音が鳴った。 「何の音――」 意識を急激に現実に引き戻され、くらくらしながら、俺は音のした外を見た。空に散る光の残骸。家並みの少し上の方に、円状に散らばる光の粒が見えた。 「花火大会が始まったんだ。いつの間にかそんな時間になっていたんだな」 ほら、と背を押されて窓際に座らされる。カチカチと後ろで音がして、部屋が真っ暗になった。後ろを振り返ると、直行の姿がかろうじて見えた。 「この方が見やすいだろ?」 それもそうだ。俺は暗くても見えるように大きく頷いた。 光が上って、音が後を追う。今度は円の中に黄色い光の筋が三つ。直行に「朝顔の形だ」と言われて、ああと思った。 意外と近くに花火が見えるので、家の屋根に隠れることもなく上の方にはっきりと花火の形がうかがえた。ちゃんと欠けてもいない。 確かに会場は家から近いところにあるけれど、こんなに近くに見えるとは知らなかった。花火大会に参加しなかったのは本当に今年で初めてなのだ。いや、これも微妙に参加ということになるかもしれない。(結局上半身だけだが)甚平も着ているし。 「網戸も開けよう」 直行の手が窓に伸びる。窓ガラスは開いているが、網戸は閉まったままだ。 「でも、蚊が入ってきたら」 「その時は俺の部屋に来て寝ればいいじゃん?」 直行がいたずらっぽく言う。俺は笑い返して、「ばーか」と付け足してやった。 いつも見る花火よりも遠くて小さいけれど、俺にとってここは最高の特等席だった。周りには誰もいない。直行と二人っきり。近所はみんな花火大会に出かけているから、住宅地は闇に落ちている。 真っ黒な夜空に光の花が咲いた。 「綺麗だな」 「うん、たまにはこういうのも良い。有火と二人っきりっていうのも乙だし」 俺は恥ずかしくてとっさに直行の脇を肘で小突く。大して痛くもないくせに、直行がわざとらしく呻いた。 俺が恥ずかしくて言えないことを、どうして直行は軽々と言っちゃうかな。逆に言葉のありがたみがなくなっちゃうじゃん。 でも暗くなったのは好都合だ。これならいくら赤くなっても直行にばれやしない。ちょっとだけ大胆になって、直行の肩に寄りかかってみる。派手ないたずらをやらかしたような気分だ。最高にどきどきする。このどきどきが心地良い。顔が自然とにやけてきた。 直行は俺を押しのけることなく、逆に肩に手を回してくる。ぎゃー、これって傍から見たらカップルみたいじゃね? なんて思うのは俺の自意識過剰か。しかも俺がどっちかと言うと女の方? 少しばかり不服に思ったが、直行相手だったらそれでもいいかと思える。何だっていいよ、傍にいられるなら。 ついこの間まで散々直行を邪険に思っていたのに、恋の魔力は怖いね。俺は相当な末期症状らしい。直行が傍にいないことが苦しくて、直行がぞばにいることが嬉しい日が来るなんて、思いもしていなかった。 なぁ、直行? 密かに同意を求めて顔を上げると、何を思ったか、直行が俺の頬に軽く手を当てた。近くにある街灯でおぼろげに直行の表情が浮かぶ。よく判らないけど、たぶん微笑んでいた。 暗いせいか、距離感が掴みにくい。やけに近くに直行の顔がある気がするのは、俺の気のせいか? 鼻に温かい空気を感じると、唇に軽く何かが触れる。柔らかくて熱いもの。度重なるキスのせいで、俺はすぐにそれが直行の唇だと気づく。 へ? どうしてこのタイミングでキス? 直行の意図が判らなくて、間の抜けた疑問が頭に浮かぶ。でも何だって良いや。直行が感じられるなら、理由なんて後で良い。 俺が暴れずにじっとしていると、直行が更に接触を深めてくる。唇が押されて、それがポンプのように俺の身体に熱を押し込む。俺は直行の浴衣の胸元を掴んで、唇を押し付けてその感触を追った。このままどんどん近づいたら、俺の熱で全部が溶けて、一つになれるんじゃないかという気がした。 どん、という音が遠くから聞こえる。夏の花が夜空に咲いて、にこにこと輝いていた。それは一瞬で消えるけれど、俺たちのキスはまだ続いている。 せめて、このまま、もうちょっと。これ以上近くにいたいとかは別に望まないからさ。 このまま、傍にいさせて欲しい。 END? ぃやぁぁぁぁ〜〜〜〜っと、終わりましたよ〜〜〜〜!! 最初一話完結で終わらせるはずだったのに、ここまで引き伸ばして本当すみませんでした! たった三話にどれだけ時間かかってるんだか! 私の予定は本当に未定ですごめんなさい。有火の名前決定、本当にありがとうございました。一応直行に「有火」と呼ばせることを意識しました。御礼が遅くなって申し訳ありません。 使いたかったのは「有火に甚平を着せる」というネタでした。上と中は完全にその前振り。前振り長っ! 計画性のなさがよく判ります。前振り長すぎて肝心の書きたかったネタをどう出そうか悩んだ挙句、だらだらになりました。告白してすらいないのにこの子たちのこの引っ付き具合は何なんでしょう。完全に私の趣味がにじみ出ています。夏の話しか書いていないのも私の趣味です。私の趣味に付き合って待ってくださったかた方、ありがとうございました! |