[Blade]
パックジュースを吸いながら、久遠はもごもごとぼやく。ぼこぼことマナー違反な音を立てるが、やさぐれモードの久遠にとってはそんなことどうでもよかった。 「今までの俺の気苦労はなんだったんだ」 「知らん」 きっぱりと切り返される。この生真面目なおせっかい焼きが傍にいければ、久遠は煙草でも吸いたい気分だったが、あいにく今はパックジュースのストローで我慢するしかない。どちらにせよ人の行き来が激しい格技場の入り口では、そんな真似はできないのだが。今は休憩時間なのでなおさらだ。自販機横のベンチには人がいっぱいであるため、久遠たちは仕方なく下駄箱に背を預けて立つしかない。 久遠はほろ苦いカフェオレの味を舌に乗せつつ、恨めしそうに佐渡を見る。格技場入り口の傍においてある自販機のカフェオレは、どうにもカフェの割合が強い。 佐渡は最初から真実を知る者の一人だった。青海と顔見知りであったから当然下の名前も知っていたし、髪の色を変えて同じ学校に入学していたことも知っていた。 「実力者の名前くらい名簿で確認しておけ」と叱咤されたが、入学者の人数を思えば、無茶な言い分だと思う。違う学科ならなおさらだ。久遠にとっては、佐渡も久遠を陥れた共犯者なのだ。 「なーにぶーたれてんのよ」 いきなりパックがはじかれ、ストローが口から外れる。思わず力を入れて握ると、中身がストローの入り口すれすれまで上ってきた。あともう少し強く握っていたらこぼすところだった。 久遠はパックを襲った犯人をきっとにらみつける。今日はずっと眉間にしわを寄せたまま会話している気がする。 「お前も共犯者だろうが、朱野吹雪!」 びしりと指差され、吹雪は不愉快そうに眉をひそめた。久遠の手を厳しく叩き落とす。ぴしりと鋭い音が鳴った。 「人聞きが悪い」 袴の腰の辺りの手を置いて、ふんとふんぞり返る。仮入部期間が始まり、吹雪もようやく練習に参戦してきていた。 「私はあまりにも馬鹿馬鹿すぎて一抜けしただけ」 悪びれもせず言い放つ。吹雪が「ゆきよ」の正体を知りつつ黙した理由、それは「勘違いの連鎖があまりにもくだらなかった」からだ。 「剣道馬鹿のお兄ちゃんの行動パターンを知っている人間なら、ちょっと冷静に考えれば気付くことだわ。まともに関わるだけ無駄」 兄がもっとも大切にしているものに対して「無駄」とは、容赦のない妹である。だが振り返ってみれば確かにそうで、結果は朱野の勘違いにひたすら回されただけであった。 ただ難点だったのは久遠もまた冷静でなかったことだ。第三者から見ればくだらない勘違いでも、当事者から見れば疑いようのない真実となる。久遠は朱野が青海に恋愛的な意味で惚れているのだろ思い込み――そして自滅した。 分かってたのなら止めてくれよ。ぼろぼろになった久遠としては、全力でそう主張したい。傍観者であった佐渡や吹雪がノーダメージであったから、なおのことそう思う。 「何よ、緑山さんよりはマシでしょー?」 不満たらたらな久遠の様子に気付いて、吹雪が頬をぷくりと膨らませる。きついこと散々言った後でやられても、少しも可愛く感じない。 「あの人、嘘はつかなくてもわざと勘違いするようなことを言って、お兄ちゃんが壊れるのを楽しんでいたのよ!」 「あー、そんな感じだったな」 生徒会室で机を蹴飛ばしたのまで演技だったのかと思うと、素晴らしすぎて責める気にもならない。廊下で暴走した朱野が去っていった後、久遠は緑山になぜか感謝されてしまった。「珍しいものが見れた」と。 いずれにせよ被害者の久遠の立場からは、誰が一番悪いかとは言い難い。全員に文句を言いたい気分であるし、自滅した部分も大いにあるから、文句を垂れるのは筋違いな気もする。 何より一番の被害者であるところの朱野が、青海という強力なエースを手に入れ、ご満悦なのだ。久遠に言うべきことは最早何も残されていなかった。 「狐につままれたと思って忘れるしかないかー……」 「まぁ、これも経験だ」 腕を組みつつ、佐渡が呟く。尊大な物言いに、お前は俺の父親かと突っ込みたくなってしまう。久遠は佐渡くらい若い父親を持った覚えはない。というか物理的に不可能。第一、佐渡の親は両方とも健在だ。 色々と助けてもらったのは事実だが、分かっていてやったのなら、佐渡が一番たちが悪いと思うのは気のせいだろうか。信じていた味方に裏切られたような気分だ。おかげで人間不信になりそうだ。 「この学校におるのは一癖も二癖もある人間ばかりだ。そういうやつと付き合っていくにはいいきっかけになったろう?」 「お前含めてな!」 久遠はぷいと顔を背ける。佐渡にいたっては二癖どころではない。三癖も四癖もあるのは、剣道の技だけではなかったようだ。 後頭部から佐渡がため息をついたのが聞こえた。ため息をつきたいのはこっちの方なのに、何故佐渡がため息をつくのかと思うと、むかむかしてくる。 「日暮園の者には特に厄介な事情を抱えている者が多い。俺はそういったやつらを避けてほしくはなかったのだ」 「誰が避けたよ!」 「あら、じゃあ積極的に関わろうと思った?」 吹雪に痛いところをつかれ、久遠は押し黙る。確実に関わらなかっただろう。現に雪夜に最初会ったときも、久遠は二度と関わらないことを欲していた。今回の件でいっそ吹っ切れたが、そういった機会がなければ、いっそ避けていただろうと思う。 吹雪も佐渡も異分子であるがゆえに、避けられる側を体験してきたのかもしれない。秀でたものがない反面、多数派に守られた道を生きてきや久遠には、分からない苦労がそこにはある。 吹雪の突っ込みはけして揶揄ではなく、真剣なものだった。久遠は浅く頷く。 「久遠、お前は自分が強くないと言ったが、そうではない」 佐渡は久遠の髪に指を掻き入れた。汗が拭われる。何故こいつはこんなにも人の頭を撫で慣れているのかと思う。 「働き蟻はたくさんいる。それは雄蟻よりも女王蟻よりも重要だからなのだと思う。お前がマジョリティに属する人間ならば、それはお前が重要な人間であるからだ」 「女王蟻よりもかよ」 「そうだ。働き蟻は強い」 佐渡はきっぱりと言った。 「社会はいつもマジョリティが支えている。マイノリティは、非常にちっぽけで弱いものなのだよ」 多数派の強さは日本にいれば一番よく分かる。中立派は多数派にどんどん飲み込まれ、強力な空気を作り出す。少数派は差別対象として押しつぶされることも少なくはない。 「一方でマイノリティにはマジョリティにない性質も持つ。だから働き蟻は女王蟻を大切にしなければならない。互いを大切にしなければ彼らは生きていけない。 だが人は往々にして見下したがる。マイノリティはマジョリティが無能であると、マジョリティはマイノリティが異常であると。俺は久遠にそのような関係を築いてほしくなかったのだ。 だからお前自身も、けして自分が無能であると思ってくれるな。そしてもしマイノリティの側に立ち回っても、自分が異常であると思ってくれるな」 ぽんぽんと二回、軽く頭を叩かれる。佐渡の手が頭から離れていくと、その部分がすっと涼しくなった。入り口から吹き込む風が熱を奪っていく。北側にある格技場入り口は、日も差さず絶好の避暑地だった。 計ったように、小さく笛の音が聞こえてきた。部長の声が通路にまで聞こえてくるが、何を言っているのかはよく分からない。とりあえず早く戻らないといけないことは確かだ。 久遠は残ったコーヒーを一気に吸い込む。音を軽減する工夫をされていない安物のパックは、ずるずると音をたてながら空気ごとわずかな液体を吸い取っていった。 パックを軽く振り、残っていないことを確認してから、ゴミ箱に押し込む。自販機の横に設置されたパック用のゴミ箱は、放課後になるといつも満杯だった。 パックを捨てている間に、吹雪は何も言わずさっさと剣道場に戻っていってしまった。佐渡は――久遠を待ってくれてかはさておいて――のんびりと前方を歩いている。ベンチを一斉に立った他の部員たちにどんどん追い抜かれていっていた。 「佐渡」 一つ気になったことがあって、久遠は声をかける。佐渡は立ち止まらずに、そのまま「うん?」と首をひねった。その顔は既に全てを悟ったかのように、笑みを浮かべていた。 「最後の台詞、もしかして気付いてて言ったのか?」 「何となくな」 それはほぼ全てを肯定した答えだった。 久遠は思わず足を止める。一気に人の引いた通路は、しんとしていた。格技場の外にある駐輪場で、一年生が談笑する声までが聞こえてくる。 もしマイノリティの側に立ち回っても、自分が異常であると思ってくれるな。まったく、どこから伝わってしまったのかと息をつく。いや、気付かれない方がおかしいのかもしれない。 久遠はマイノリティの側に回ってしまったことを悩んでいた。悩んでいたというか、漠然と不安に思っていた。 自分はもしかしたら、男を好きになってしまったのかもしれないと。 最初から朱野への情熱はただならぬものがあった。雪夜と緑山が生徒会室で絡んでいるのを見たときも、別段不快だと思ったわけではなかった(もちろん、人様のラブシーンを見て愉快だとも思わないが)。 そして雪夜に嫉妬して、朱野に抱きつかれて、久遠の思いは確信的なものになってしまっていた。 朱野が、好きだ。 気付いたというよりも、自分の思いにやっと名前が付けられたという気分だった。佐渡の台詞で、より自信を持ってそう言うことができる。 この気持ちは異常なわけではない。ただ自然な流れの中で、人とはちょっと違う形で出てきてしまっただけで、根本的には何も変わっていないのだ。 「こらー、久遠! 早く来い!」 剣道場から朱野が顔を出す。呼ばれる名前が心地よく空気を叩く。気付けば久遠はそれを起爆剤に走り出していた。 「はいはーい! 久遠飛呂士、行きます!」 宣誓のポーズのように片手をまっすぐ挙げて、宣言する。続けて「ふざけるなー!」という声が返ってきて、久遠は笑った。しかりながらも、仕方がないなぁという顔で苦笑して、入り口で待っている朱野が愛おしい。 胸に一本の剣を持つその足取りに、迷いはない。久遠は臆せず、一直線に突き進んでいく。思い人の元へと。 久遠の背を後押しするように入り口から強い追い風が舞い込んだ。 FIN. 確か「朱野は雪夜のことを『ゆきよ』っていう女の子だと勘違いしてて、『ユキ』って読んでるんだよ!」みたいなネタが最初にあったような気がします。そのネタにこじつけてストーリーを組んだらこんな感じになりました。いかに朱野に性別を勘違いさせる状況を作り出すか、というつじつまあわせが労力の80%を占めました。色々な矛盾点は突っ込まれてもこれ以上調整できませんorz レナとか、雪夜とか、本当は性別をぼかして「実は逆でした!」とかやりたかったんですが、そんなトリックが書けるんだったら私は今頃ミステリでも書いています。 佐渡が私の中で自重してくれなかったので全体的に説教臭い仕上がりになりました。久遠もあまり沈んでくれなかったので、クライマックス→盛り上がらない、シリアスなシーン→深刻にならない、というぐでぐでなテンポでお送りいたします。あとはキャラ紹介を兼ねてオールスターにしたかったんですが、生憎十一人で打ち止めとなりました。陸上部エースと占い師とアメリカン教師は保留です。出さなくてもどうにかなったような人が六人くらいいるのでもはやカオスです。日暮園と生徒会と剣道部員は回収するかも判らない伏線になっております。キャラが多かったせいでもありますが、朱野と佐渡と久遠はもともと同一人物だったので、よく名前を打ち間違えました。主要人物三人の名前がごっちゃになっていたらご一報ください。 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。 |