[灰色ロリーポップ]


「つまり!」
 俺は深く息を吐く。そしてまとめをまくし立てるように口にした。
「俺の趣味をばらすことは脅しの材料としては弱い。よって俺は飯を作らない。オーケイ?」
「うん」井森は頷いて、「鳥越って何学部?」
 俺がせっかく長々と説明したのにあっさりと話題転換され、青筋がピシリと浮き出てくる。人に説明を求めておいて、聞く態度というものがなっていない。
「……文学部だけど」
「ああ、だからか」
 おい、今文学部ってだけで「こいつよく分からない説明するよな」ということでまとめなかったか? 俺の専攻する社会学は科学的なんだぞ、生物学とかと同じ思考法なんだぞ、こら! 俺がそんな思考法をできるかはさておいて!
 まぁ明らかにできないので下手なつっこみを入れるのは避けておく。科学的に言えてないじゃん、というつっこみが来たら痛すぎる。科学的な思考法ができるんだったら一年の社会学の必修授業で「優良可」のどべの成績をもらっちゃいないさ。くそー、単位なんて取ったもん勝ちだ!
 俺は今マナーの恣意性について説いたが、井森にはマナーを義務化した方がいいんじゃないのかと思えてきた。俺様だし。勝手に家捜しするし。人の傷をえぐるし(成績の件は俺が勝手にえぐられただけだが)。
 そもそも井森は全裸で人様の家をうろうろするくらいだからな。しかも初対面で。マナーどころか常識全般が抜け落ちているんじゃなかろうか。もしかしたら井森は非社会的な趣味を持つ俺よりも常識が欠けているのかもしれない。
 思い出して、俺は今さら根本的なことに気付いた。井森の上から下まで、視線を流す。細身の割りに筋肉がついているとか、手足が長くてモデルみたいだとかそんなことではなく。
 服を着ている。
 しかも昨日着ていた服とは明らかに違うから、その服の調達先はただ一つ。
「てめぇ、勝手に俺の服着やがったな!」
 井森の着ているティーシャツに掴みかかる。よく見れば見覚えのある柄だ。比較的タンスの上の方に入れてある、よく学校に来ていくシャツだ。洗濯を繰り返していたせいでプリントがかすれている。
「気付くの遅っ!」
 うるさい、寝起きでちょっと頭が回っていなかったんだ。ズボンの方も、井森が履くにしてはちょっと裾が足りないから(足長いな畜生)どうせ俺のなのだろう。
「タンス開けたって言った時点で気付け! 服出さない鳥越が悪いんだろ!」
「言いがかりだろそれ!」
 俺は負けじと声を張り上げた。さすがにここは引けない。
「俺はお前を介抱してやったんだぞ、寝床も提供したんだぞ。シャワーだって貸したんだ。おかげで俺は徹夜だったのに、その間にお前はタンスをあさるし、飯を作れと起こすしで、何様のつもりだ!」
「俺様」
 うわ、すがすがしいほどきっぱり言いやがった!
 俺の中でもぷつーんと、何かが景気よく切れる音がした。もう我慢ならん。失恋したての元酔っ払いの初対面だと思ってちょっと甘く見てやったところもあったが、俺のお人よしポイントはもう使い果たしてしまった。
 昨日ゲロ吐きながら泣いていた酔っ払いと今目の前にいる悪魔は別人なんだ。そう割り切ろう。決めたからには手加減しない。
 「とりゃっ!」と俺は両手を前に突き出し、不意をついてタックルをぶちかます。
 いくら井森の方が体格がいいとはいえ、構える隙さえなければ防ぎようがない。井森はあっさり横倒しになり、その上に俺が覆いかぶさる形になる。ふっふっふ、俺が優位に立っていることが分かるいい眺めだ。
 井森は立場が逆転したという自覚はないのか、きょとんとしている。表情は可愛いけれど反応は可愛くないやつ。悔しさに顔をゆがませたりとかしないのかね。
 強請りのネタを持っているのはお前だけじゃないんだぜ。残念ながら俺は清い人間などではない。どちらかと言えば黒い方に片足を突っ込んでいるグレーゾーンの汚い人間なんだ。俺は人差し指を井森の鼻先に押し付ける。
「強気なのもいいけど、あんまり調子に乗ってると、ちょーこさんに振られてゲロ吐きながら泣いてたこと言いふらすぜ?」
 俺が言うとやたらと小物のように感じられるのはさておき。これは井森にとってかなりアキレスのかかとになるはずだ。天下のイケメンが女の子の前で醜態をさらすくらいショックだった事柄だからな!
 そうでなくとも、女に振られてゲロって泣いたとくれば、どんな男でも女の子からの評判は悪くなるだろう。証拠写真がないのが悔やまれるが、証人は何人かいるから、言いふらせばすぐに広まるはずだ。
 苦渋に満ちた井森の表情が浮かぶぜ! 端正な顔がどんな風にゆがめられるのか楽しみだ、とサディスティックなことを考えながら井森の顔を改めて見ると、そこには相変わらずきょとんとした井森の顔。
「あれ?」
 拍子抜けした声を出すのは俺の番だった。昨日はあんなに心を痛めていたはずなのに、今日の態度はいったい何なんだ? まるで人が変わったかのようだった。実は二重人格でした、みたいな落ちなのか。
「悔しがらないのか?」
「だって、忘れろって言ったの、鳥越の方だし」
 俺は自分の記憶を呼び起こす。やばい、睡眠サイクルが狂ったせいで記憶の整合性がごっちゃになっている。でも、それがどんなシチュエーションで言ったかは思い出せないが、確かに言った覚えはある。
「覚えてたのか……」
 俺ですらあいまいになっている記憶なのに、泥酔していたはずの井森が覚えていたとは驚きだ。何度も吐いていたから酔いが薄れていたのは間違いないだろうが。
「うっすらと。夢ん中のことかとも思ったけど、寝ている鳥越の顔を眺めていたら、何となくこいつが言ったんだろうなって分かって」
 覚えてたんだったら俺のことをもうちょっとねぎらってください。介抱してもらったとはちっとも思えないほど横柄な態度だったんですが。
「蝶子のこと、完全に忘れたとは言えない。でも俺はまた新しい支えを見つけたからさ」
 切り替えの早いことで。俺なんかまだ一年前のことを気にしてますよ。でも今日の井森が昨日の井森を覚えているなら、二人が間違いなく同一人物であるのなら、この劇的な変化を裏付ける「支え」は確かに見つかったのだろう。
 井森は俺様だけど、自分の感情にまっすぐで、強い。その強情さが恨めしい以上にものすごく腹が立つが、うらやましいのも事実だった。
「良かったな」
「うん、だから俺、全力で落としにかかるから。手に入れるためなら脅しかけることだって厭わない」
 ずい分過激な発言だな。そういうことを公言するからたらしだと勘違いされるんだ。
「覚悟しておけよ」
 井森の手が俺の髪を掴んだ。短い髪を無理やり引っ張られて、頭皮にちくちくと痛みが走る。
 禿げたらどうしてくれるんだ! この年代の男としては、意外と切実な問題だぞ! 階段とか下りてると、大学のキャンパスにもうっすら頂点がやばいやつとかいるんだからな!
 その一瞬の怯みが井森の引力に負けた。そのまま俺の身体は前のめりになる。俺と井森の身体が衝突する。井森が直前で支えたおかげで痛みを覚えることはなかったが、代わりに別の感覚が這う。
 井森の唇が俺のそれに押し付けられていた。
 状況的にはまんまキ○なんだが、その二文字を思い浮かべるだけでおぞましい。俺はこの状況を冷静に考えたくなくて強く目を閉じたが、何の慰めにもなってくれなかった。音と感触だけが強調される。湿った音が耳に響く。
 意外だったのは男とのキスも感触に大差はないということだが、いかんせん触れるあごとか胸板とかが悲しいほどに男を物語っていて、陶酔することはできない。
 頭の中では「何で俺が!」という叫びが始終響き渡っていた。こういうことは女の子としろよ、俺には関係ないだろ。俺が何したって言うんだ。これ以上ないほど尽くしてやっただろ。野郎相手には十二分なサービス精神を出してやったつもりだ!
 あまりの理不尽さに泣きそうになってきた。その心情を読んだわけではないだろうが、井森にしてはタイミングよく行為をやめてくれる。離れる瞬間「ちゅ」という音が小さく鳴って、思わず赤面する。恥ずかしくて、拳でこめかみの辺りを強く押さえた。
「赤くて瑞々しくて美味そうな顔」
 井森は自分の唇をぺろりとなめながら呟く。言い方が何かエロい。自分に対してのコメントだと気付いて、俺は慌てて顔を伏せた。
 同時に、腸を絞る独特の音が聞こえてくる。通称、腹の虫の音。フロム、俺の腹。
「色気ねーの」
 井森が呆れたように言う。井森が美味そうとか言うからつい。
「……腹減ってたから」
 そういえば腹が減りつつもお互い見合ってばっかで、俺の方といえば朝から何も食べていないことに気付いた。昨日から井森の世話に付きっ切りで、飲み会の肴が今の今まで俺を動かしていた。こりゃ上手く力が出せないはずだ。俺はちらりと井森を見る。
「作る気は……当然ないよな」
「当たり前じゃん」
 井森がにやりと笑う。俺も似たような笑みを浮かべているだろう。簡単に引く相手ではない、ということはお互い分かりきっている。そしてここからは引いた方が負けなのだ。
 今度は負けてやらないぞ。何せ空腹は俺の方が勝っているのだ。切実に飯が食いたいが、自分で作るほどの気力もない。となれば何としてでも井森に作らせなければ。
「この勝敗」
 井森が笑みを崩さぬまま口を開いた。
「床勝負で決めないか?」
「阿呆か!」
 俺の手から枕が飛ぶ。その枕の鈍い衝突音が、勝負の始まりを示すゴングの代わりとなった。


FIN.

 「変態が書きたい」という理由で書き始めた「灰色ロリーポップ」です。自慰シーンとかゲロシーンとか強請りとか汚いものを思う存分詰め込んでみた嫌な作品です。書いている方は楽しかったです。私は「心情とか人間関係のどろどろ」よりネタ的な汚さの方が書いていて楽しいです。ゲテモノ好きなので(苦笑)。
 ロリコンの話ということで「ロリーポップ」、汚い話だから「灰色」としましたが、題名と本編の関連性はニュアンスしかありません。無理やりキーワードとして出そうとしたら無理があったので諦めました。
 一応テーマは「忘却」です。テーマ性を絞らないとテーマがバラバラになってしまうという指摘を受けたのでマナーのくだりは大分削りました。語りたいことはまだありましたがエンタメで書ききるにはちょっと難しいですね。
 鳥越の語りとかネタとか書きたいものを詰め込んでいったら最初の方針と六十%くらい違ってきてしまって大分難航しましたが、ここまでお付き合いくださった方ありがとうございました!



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