[陽樹]
「君は誰なのか」と言われれば、はじめは、森だった。 森そのものだった。 緑の香りに身を預け、葉のこすれる音を聞く。 リスの類が住み着いて、幹の掘られるのをただ感じる。 葉を虫に食われたところでどうもしなかった。 感じはするが、どうもしなかった。 痛いとも恨めしいとも思わないのだ。 ただひたすらに生を貪っていた。 春が訪れ、花を咲かす。 夏が訪れ、葉を茂らす。 秋が訪れ、実をつける。 冬が訪れ、身を潜める。 そうして何年過ごしたかは判らない。 森そのものに厳密な時の流れなどなく、その中で生きてきた俺としては、 自分の齢など知りようもなかった。 『俺』という概念ができあがったのがいつなのかもあいまいなのだ。 そもそも『俺』は何なのかもよく判らない。 森の精なのか、と問われたこともあったが、そんなものではない。 強いて言えば、森そのものなのである。 森そのものがなぜ『俺』になったかは判らない。 いつからか森は、『俺』という姿を持つようになっていた。 よく森に遊びに来た童どもの姿をまねた。 多分、うらやましいとでも思ったのだろう。 人間の子らを。 ただ姿をまねて、それで満足していた。 そのまま誰もが放っておけば、俺は森に帰るまでだった。 しかしトンボは俺を避けて通った。 野ウサギは立ち止まった。 イノシシは突進してきた。 狼はかぶりつこうとした。 俺は存在するものなのだと、認識していくのに、そう時間はいらなかった。 存在するならばまず生きるために動かなければ。 そうすることで、自分の存在を肯定できるような気がした。 まずは木の実を食べることにした。 見よう見まねだ。 触れることさえ出来なかった。 俺の手をすり抜けていくのだ。 俺は確かに存在するが、ちゃんと存在できていなかった。 存在し続けることは諦めた。 ただ木の根にでも腰掛けて、俺を見て立ち止まったりする動物を眺めていた。 することもなく。 生きることすら、俺には出来なかったのだ。 ほんの気まぐれである。 人間の里の方へと出歩いてみた。 ずっと何もせずにいることに、魔が差したのだろう。 生きることが出来なのならば、せめて、 いろんな物を見聞きし、知りたかった。 思えばこの体、山を下りる時は楽である。 獣道を通らずとも、たやすく歩けるのだ。 元々物に触れられないのだから。 森という隔てが俺には関係ないことも手伝って、 俺は軽い気持ちで、それこそ散歩に行くつもりで人里に降りていった。 いざ人間の前に姿を現してみると、不思議な反応を受けた。 まず、俺の姿を見ると友好的に話しかけて来るのだ。 話しかけやすい姿なのだろうか。 しかし俺は答えない。 人間など滅多に会う機会はないし、俺は人間の言葉を知らないから。 それに俺は森だ。 しゃべり方など知るよしもない。 ずっと黙っていると、おかしいと思い始める。 相手は問いただしてくる。 何とか言ったらどうかと。 そのとき、相手の体を押そうとするなどのアクションがつけば、 嫌でも気づく。 俺に実体がないことに。 「ば、化け物だぁ!」 そう叫んで、たいていの者が逃げ去った。 誰もが喚き散らし、物を投げてはまた叫ぶのだ。 「立ち去れ、物の怪」 「こちらへ来るな」 「消えてしまえ」 それを延々と繰り返す。 最初は一人だった物が次第に増えていって、終いには俺を取り囲んだ。 森のものなら、俺に触れられないと判った時点で、 少し不思議そうにしながら、去っていくものを。 過剰な反応に、理解できなかった。 人間どもはいつまで経っても去っていかない。 判らぬ。 存在しない存在に、どうしてこうもこだわるのだろうか。 だんだん飽きてきて、立ち去ることにした。 よく判らないが、歓迎されているわけではなさそうだった。 少し、胸の辺りが痛んだ気がした。 それから、人の里に下りていくことはなかった。 俺は何も考えずに森の中にいた。 時々森へ迷い込んでくる人間に何か問われたが、理解できずにただ黙した。 「何故ここにいるんだ?」 俺は森だからだ。 「親はどこにいる?」 俺という存在を作り出したものなら、森だ。 森はここにある。 「君、名前は?」 そのような概念は、ない。 俺は森なのだから。 俺は森だ。 森だ。 しかしなぜ木の姿をしていない? 葉を茂らさない? 幹をのばさない? 俺は何なのか。 俺はどんな姿をしているのか。 俺は存在しない存在だ。 自らの手を見ることが出来る。 人間のそれである。 まだ子供の手だ。 だが。 川の水面に、俺の姿は映らなかった。 俺はいったい何なのだ。 疑問に思い始めた。 森か? いや、もう俺は森ではないだろう。 物の怪か? いや、俺は森だ。 いや、森ではないはずだ。 俺はついに判らなくなった。 問われるたびに考える。 俺は何だ? そしてついに問いかけた。 「俺は何だ?」 答えるものはなく、俺はやはり木の根に腰かけて森の中にいた。 最近気づいたのだが、俺はついに物を触れるようになった。 まだ川に姿は映らないし、影も出来ない。 俺がなんなのかも判らない。 ただし、存在しない存在のように、気楽な立場ではいられなくなったようだ。 俺は傷つくし、傷つけられるのだから。 たぶん、数十年くらい経ったと思う。 俺が自らの存在を疑問に思うようになってから、それくらい四季が流れた。 未だに森に居座っている俺は間抜けだろうか。 今や俺は森ではない。 ならば何かと言われれば何者でもない。 何者でもない物だ。 それを受け入れてくれるのは、森だけだった。 人里に行っても無駄だろうということは判った。 俺は理解できるようになっていた。 あのとき、人が俺に向けていたのは恐怖と嫌悪。 俺は拒絶されたのだ。 人間は無理だった。 まったく何かになれれば楽なものを。 俺が何であるかという問いはやめ、何になれるかを考える毎日だった。 結局何にもなれなかったから森にいるのだが。 便利なもので、この体は腹も空かない。 昔と違い、影も出来るし水面に顔も映るが、 生きているということとは違うようだった。 普通動く物といえば、有り続けるために食物がいるのだが、 俺はそうではないらしい。 無理に食物を腹に詰め込もうとしても、吐き出すだけだった。 水だけは飲めたので、体液はあった。 水を飲まないとひからびてしまうのだが。 ものを食べると、摂取した水が体の外へと食べ物ごと出ていった。 気持ち悪かった。 この感覚はいただけなかった。 何度か試しもしたが、進展はない。 ついぞ諦めて、水だけ飲むことにしている。 中途半端にまだこの世に存在しきれていない。 ある意味それも便利だ。 そう思って、何かになることを諦めることもある。 ものを食べずに済むということは、生きるために殺さなくて済むのだ。 労をせず生きていられる。 それでも、生きて、朽ちていく物どもを見て、うらやましいと思う。 これぞ、存在する意義だ。 意味もなくこの世に漂う俺は、空しかった。 ■■■ ある日だ。 それがどんな日だったか説明しがたい。 確か木の根本で虫がイノシシに踏まれ息絶えた日だ。 そんな物別に目新しい事件でもないし、 この日がどんな日であったのか説明する物にも成らない。 そんな日だ。 人間がやってきた。 久しぶりだった。 人間がやってくる時など滅多にないので、 いつだって人間がやってきたら「珍しい」と評するしかないのだが。 若い人間だった。 幼いと言った方が良い年頃だろう。 長年培ってきた俺の常識で測ると、十かそこらだ。 それが三人ほど。 女が一人に、男が二人だ。 女は長い髪を一つにくくっている。 桜色の着物を着て、朱色の帯を巻いていた。 何が言いたいのか判らないが、口を開けて呻いている。 男の一人は坊主頭で、顔にできものがあった。 青ざめた顔をしているのは、恐怖のせいか、元からなのか。 不思議なのは、最後の子だ。 短く切られた髪は、癖が強く逆立っていた。 藍の着物に浅黄色の帯を巻いている。 引け腰になりながらも二人の子の前に立ち、俺をにらみつけている。 今まで見なかった反応だ。 なんなんだこの目は。 おびえているのに、それをさらに覆い隠すように何かが猛っている。 弱さを持ちながら、それをさらに打ち消す強さ。 「やい、お前か!」 男の子が言うと、後ろの二人がびくりと肩をふるわせる。 「この森に住み着いてるっていう物の怪は!」 かまわず、男の子は言った。 俺は首を傾げた。 「物の怪ではない」 「ならば何だ!」 ますます困った。 それが判るくらいなら、俺はここにいない。 判らないから、森にいるのだ。 判らないことをどう伝えればいいか。 俺は考えて、口を開く。 「何者でもない。 物の怪でも人間でも虫でも動物でも植物でも水でも岩でも空気でもない」 「馬鹿にしているのか!」 男の子は叫んだ。 腹立たしそうだった。 だからお前は何者なのだ。 そう問いたいのは、明白だった。 怒られても、俺にはどうすることも出来ない。 俺にも判らないことを、他人に判るように説明するのがどうかしている。 聞きたいのは俺の方だ。 俺はとりあえず立ち去ることにした。 このままここにいても、男の子を、その後ろの子供を怖がらせるだけだろう。 三人に背を向けた。 「逃げるのか!」 鋭く突き刺さる声。 俺は顔だけそちらに向けた。 「立ち去るのだ。 俺がここにいても、良いことはない」 男の子は困ったように眉をひそめた。 「証拠が欲しい」 未練がましそうに言う。 理由を無理やり探したような、不安定な言葉だ。 「何の?」 「お前が実在するという証拠だ。 俺は今肝試しをやっている。 村でお前が子の森にいるという話を聞いた。 人の形をした化け物がいると。 人そっくりであるが、あれは化け物だと。 それを確かめに来た。 真之助、村のえばり散らした童に、俺の肝の強さを見せつけてやる」 男の子は早口でまくし立てる。 じっと俺を見つめた。 断ったらかみついてきそうな勢いだ。 しかしどう証拠を出せと言うのだ。 しばし黙っていると、男の子の後ろにいた、坊主頭の少年が、呻く。 「治郎、もう良い、帰ろう。 本当にいたんだ。 俺も見た。 弥栄も見たから。 これ以上ここにいたくない」 隣の少女もうなずいた。 治郎と呼ばれた男の子は吐き捨てるように言う。 「帰りたければ勝手に帰れ。 俺にはこの物の怪が強そうには見えない。 俺一人でも十分だ」 少女と坊主頭の少年は顔を見合わせる。 治郎を置いて帰るのも何だと、困った顔をしている。 治郎はそれをちらりと見やる。 「早く帰らないと親も心配してるだろう。 俺の家は、二人も知るとおり大丈夫だ。 早く帰れ」 力強く言った。 二人はようやくうなずいて、「気をつけて」と言って去っていった。 去り際に「治郎を食べないでね」と女の子に言われてしまった。 その点は大丈夫だ。 俺の腹は空かない。 治郎を食わない。 「大丈夫だ。 そなたに誓う」 自信を持って言うと、女の子は安心したようにうなずいて森の奥へ消えた。 さて、治郎と二人取り残されてしまった。 俺がここにいる証拠は、まだ見つからない。 「俺はいったい何をすればいいか?」 問うと、治郎は期待のこもった眼差しで問い返す。 「何かおもしろいものは持っていないか?」 おもしろい物というのは、面妖な物と言うことだろうか。 俺はすぐさま首を振る。 「俺は物の怪ではない。 何も持っていない」 治郎は瞳を曇らせた。 「そうか」 無性に寂しい気分になった。 笑ってもらいたいのだが、そうもいかない。 俺はこのときほど、自分の存在を悔やんだことはなかった。 治郎は俺をじろじろ眺めてくる。 何かめぼしい物を探しているのだろう。 姿は数十年前、もう数百年前のことになるかも知れない。 森に来た子供の姿をまねただけなので、 その頃から特に変わってはいないはずだ。 気まぐれで髪が伸びたり、顔つきが変わったりはしたかもしれないが。 基本的には老いもしない体だ。 「髪の毛を抜いたら、増えたりはしないのか?」 「へ?」 突然訳の分からないことを聞いてきたので、思わず聞き返した。 「だから、抜いてみたらどうなるんだ」 「しらん」 言ったとたん、治郎の目がランランとした。 「よしきた、抜いてみよう」 俺は正気かと尋ねた。 俺だって痛みは感じるのだ。 感情はあるのだ。 髪の毛を抜いたことはないが、痛かったら困る。 俺は抵抗した。 治郎が俺の腕を掴んで、そのまま押し倒した。 治郎が俺の体の上に座る。 熱い。 人の体温とは、こんなに熱い物なのか。 「お前、冷たいな」 治郎はおもしろがって俺の肌を触る。 俺はそのたびによく判らない熱い感覚に包まれた。 治郎の手が、首をなでる。 優しい手つきに安心感を覚える。 この暖かさにずっと触れていたい。 そう思わせるものがあった。 首の次は鎖骨、その次は胸部と、だんだん手が下がってきた。 治郎は「気持ちいい」と嬉しそうに笑っている。 そう言えば、今は人間の言う初夏の頃であったか。 俺は周りの環境にあまり影響されない体なので、いまいち四季の実感がわかなかった。 気が済んだのか、治郎は俺の髪の毛に手を伸ばす。 しばらく髪を梳くって、玩ぶ。 「男のくせに髪が長いな。 それにサラサラで、緑の香りがする」 治郎は屈託なく笑った。 その笑顔がまぶしくて、ドキリとした。 何だ、子の体の芯が鼓動を打つ感覚は。 俺はどうしてしまったのだ。 狂いそうだ。 治郎は俺の髪の毛を引く。 一本、ぷちりと抜けた。 するとたちまち、一枚の葉になる。 面妖な光景に、俺も、治郎も、目を見開いた。 「こんな森の奥にいると思ったら、お前、木だったんだなぁ」 治郎は感心したように言う。 俺は。 木だったのか? 俺は熱い物がこみ上げてくるのを感じた。 治郎は葉っぱをくるくる回したり、匂いをかいだりしていた。 それがお気に召したらしい。 葉を帯に挟んで、俺の顔を見下ろし。 目を見開いた。 「どうした!」 問われて、今更自分の変化に気づく。 熱い。 目頭が熱い。 何だ? 目から液体が流れている。 今まで人間を観察してきた中で知った。 感情が高ぶるとこうなるらしいのだ。 俺は何を感じたというのだ。 悲しみか? 喜びか? 恐怖か? 怒りか? その全てであるように思えた。 治郎よ、嬉しい。 俺はやっと自分の正体を知ることが出来たのだ。 治郎よ、苛立たしい。 俺は結局森のままなのか。 治郎よ、怖い。 俺は森にしかなれないのか。 俺は森に戻ってしまうのか。 治郎よ、悲しい。 俺はお前と共にいられないのか。 せっかく出会って、せっかく俺に興味を持ってくれたお前と。 初めて正面切って話してくれたお前と。 初めて俺に笑いかけてくれたお前と。 俺は。 何で今まで、人の姿をして生きてきたか判った。 俺は人になりたかったのだ。 木であることを自覚して、今更気づいた。 「治郎、治郎よ、ありがとう」 俺は呻いた。 「俺は木だ。 森だったんだ。 ようやく気づいた。 ありがとう」 俺の体は、森に引き込まれていく。 髪が地に根を張り、頭が植わっていく。 手足が枝に変わっていく。 服が皮に、葉に変わっていく。 治郎は恐怖に顔を引きつらせた。 「何だよ、何なんだよ!」 止めようと、必死で手を伸ばした。 無意識だった。 根を張る髪を切り裂こうと、帯から刃物を抜き出し、 ぶちぶちと髪の毛に当てる。 しかし髪は伸びる。 土に帰ろうと、掴んで離さない。 「お前、えっと、名前」 「木にそんな物はない」 「じゃあ俺がつけてやる!」 治郎は叫んだ。 「お前は陽樹だ。 太陽の陽に樹木の樹。 お前は陽樹だ」 陽樹。 ああ、良い名前だ。 そんな明るい名前をもらって良いのだろうか。 治郎がくれたんだ、大切にする。 陽樹。 陽樹。 俺は陽樹だ。 何者でもない。 物の怪でも人間でも虫でも動物でも植物でも水でも岩でも空気でもない。 「俺は陽樹だ」 それから、急に物が見えなくなった。 最後に治郎の声を聞いた気がしなくもない。 「陽樹」と、俺の名を呼んだ気がしなくもない。 俺は森になった。 ■■■ 治郎は森に来ていた。 そこにはきれいな花の咲く花があるのだ。 まだ小さい木ではあるけど、とてもキレイで、良いにおいの花を咲かせる。 太陽の光をいっぱい浴びて、きれいなピンク色に咲くのだ。 治郎はその花をたびたび見に来ていた。 治郎が村からいなくなったら、だいたいこの場所に来ればいた。 この場所を知るのは、数年前、共にこの場所へ来た二人しか知らないけれど。 だから治郎を捜しに来るのは、弥栄の役目だった。 当時坊主だった少年は、今や立派な武士として忙しいから。 「治郎、治郎やー!」 弥栄はきれいな声で叫んだ。 村一番の、自慢の美声だ。 この声で朝起こされてみたいと、村の男共には評判だ。 結局村長の息子と恋仲に落ち、彼と結婚することになりそうだけれど。 治郎と同じ年の者は、だいたい結婚してしまった。 独り者は治郎くらいである。 その治郎は、一本の木に熱を上げているようだった。 治郎がそう呼ぶから、『陽樹』と呼ばれている木。 弥栄は今日も治郎が陽樹の脇で寝転がっているのを見つけ、 そちらの方に駆け寄った。 「治郎、今日もまたこんな所にいて。 長老様が呼んでるよ」 それから、 「私も婚儀が近いから、いつまでもあんたの面倒見てられないよ」 と付け足す。 治郎はうざったそうに「別に良いよ」とつぶやいた。 「いちいち迎えに来るな。 どっかの嫉妬深い未来の婿さんが、俺に文句つけてくるんだ。 俺は陽樹の側にいたいだけなのに」 弥栄はため息をつく。 「いい年の男が何言ってるんだか! それだから、せっかく何でもそつなくこなせるってのに 嫁がもらえないのよ」 弥栄は幼なじみとして心配していた。 馬にも乗れるし、力もある。 愛想もいいし顔だって悪くない。 なのに嫁をもらわない治郎は、まるで何かに取り憑かれているみたいだった。 治郎は寝返りを打つ。 「嫁はいるよ」 弥栄は顔を曇らせた。 「俺には陽樹がいるって?」 「そういうこと」 何度も聞いた、飽きるくらいの台詞。 弥栄は確信した。 やっぱり治郎は取り憑かれているんだ。 陽樹。 その木がどういういきさつで生えたのかは知らないが、 弥栄には何となく予想が付く。 数年前のあの日、物の怪にあった日、治郎は家に帰ってこなかった。 そして親代わりの男が弥栄の案内で迎えに行った時、 治郎は呆然とたたずんでいた。 昨日までは見なかった、陽樹の木の側に。 あれはあの日見た物の怪だ。 きれいな顔をした子供の姿をしていた。 長い黒髪を垂れ流し、男とも女ともつかない顔立ちだった。 服装は、ずっと昔のものだった。 以前、まだ治郎達の村が出来る前に住んでいた民族の服。 あの物の怪こそ、陽樹に違いない。 弥栄は何度も陽樹を切ろうとした。 そのたびに治郎が暴れ出した。 弥栄はため息をつく。 もう無理なのだと。 「今日で最後にするから」 弥栄は鋭く言い放つ。 「もう迎えに来ない。 陽樹に引き込まれてしまっても知らない」 治郎は身を起こし、にっこりと笑う。 「そりゃ、本望だ」 かつてなく幸せそうな笑顔だった。 それから、治郎を見た者はいない。 陽樹もきれいサッパリ消えてしまったそうだ。 二人はどこへ消えてしまったのか。 それはわからないけど、少なくとも弥栄には、判ることがある。 あの二人は、今も幸せに、森のどこかで暮らしているだろう。 END ちょっと昔話風の話が書きたかったので書いてみました。 妖怪と少年の恋物語(?)です。 本当はもっとエロくする予定だったんですが、力尽きました。 エロを書くのってものすごいパワーがいります……。 |