[友人以上]
唇宣戦 なぜ、こうも人間には選択肢がないのだろうと、嘆きたくなる時がある。もちろん、歴史の中で人間は自由を勝ち取ってきた。その自由の中に無条件で住ませてもらっている現代人は、非常にぜいたくであろう。何の努力もせず、何の価値も知らず、素晴らしい権利を生まれながらにして有している。 それでも嘆きたくなるのは、人間の不平等さだ。歌が上手い人、スポーツが得意な人、勉強ができる人、人には様々な個性がある。それぞれの人間が負う役目は違っていて、全てを一人で補えるほど人間は完成された生き物ではないから、できることとできないことがあって当然だと思う。 だがしかし、よりによって何もできない人間と何でもできる人間を、隣に置かなくても良いではないか。俺が嘆きたいのはそこなのだ。 俺の悩みの根元、陸島直行は、家が近所だったために小学校・中学校通しての幼馴染みである。昔から何をやらせても素晴らしい奴であった。勉強をやらせれば満点は当たり前(元々頭のいい学校には通っていなかったが)、スポーツをやらせても瞬く間にエースになり、絵を描かせても素晴らしい。何でもできるマルチ人間だ。 対して俺は、平々凡々な何処にでもいる少年A。進学してから三ヶ月目に、クラスの男子から「お前誰だっけ」と言われたのは相当ショックでした(その後かなり謝ってきたので、いじめではないらしいからなお悪い)。 全然目立たない俺と嫌でも目立つ直行は、常にとなり同士にいた。小学校低学年の頃に毎日下校していたら、気が付けば俺たちはセットにされていた。俺の、「直行の隣にいる奴」という認識しかされない惨めな人生は、ここから始まっていた。 直行の隣にいる限り、俺は少年Aのままなのだ。そう、奴と幼馴染みでいる限り。 幼馴染みを選ばせてくれない神様を、俺は憎らしく思う。 人気が少なくなった教室に、風が舞い込む。風は床のゴミをまき散らして消えた。散らばったゴミを箒で寄せ集めて、俺は箒の先に顎を乗せた。 「箒の毛先が曲がるよ」 人が感傷的になっている時に、要らぬツッコミが返ってくる。俺は声の主を軽く睨んだ。 「それと、邪魔。ゴミが回収できないよー」 思いっきり笑顔で、そいつは俺の顔を覗き込んでくる。無視をするとでこピンでもやってきそうだったので、大人しくどくことにする。この完璧な幼馴染みには頭が上がらない。いつだって、名前の通りにあいつの方が正しい行いをするのだ、直行は。 直行は女子が教室に残っていたら騒ぎ出しそうな笑顔を浮かべて俺の短い黒髪を撫でる。あいにく今週の教室の掃除当番は俺たち二人なので、他には誰も残っていない。特に部の活動場所も近くにないし、周りは静かだった。だから掃除当番もサボる奴が多く、うちの教室はいつも汚い。真面目にやるのは一部の女子と、それと直行くらいだった。 直行は屈んで丁寧にゴミを掃く。綺麗な色素の薄い髪が前へ垂れた。直行がうざったそうに顔を歪めたので、髪をかき上げてやる。 「長いな」 「そう?」 「長いよ。結ばないのか?」 「じゃあそろそろ切るか」 せっかく綺麗な髪なのに残念に思ったが、本人が嫌なら仕方がない。直行の唯一の欠点は、少し外見が不良っぽいことと、性格も結構軟派なこと。逆にそこが女子に受けていたりもするが、俺は少なくとも欠点だと思う。だから俺はまだ直行を突き放さない。これで真面目な優等生だったら、とっくに縁を切っている。 「俺は嫌いじゃないけど、直行が髪長いの」 直行は少し顔を上げ、視線だけ俺の方へ向けてから、最後に一度掃く。バランス良く立ち上がった。箒とちりとりを持っているくせに一々絵になる奴だ。 直行は微かに残ったゴミを箒で散らす。証拠隠滅というやつだ。どう足掻いても取れるはずのない小さな塵は、大きくなるまで教室に放される。魚みたいだ。捕獲されたゴミの行き場所は、腹の中ではなく箱の中だけど。 直行はちりとりのゴミをゴミ箱へ流し込み、掃除用具入れの中に箒をしまう。少し埃臭い匂いが漂った。掃除用具のくせに、時々教室より汚いんじゃないかと思うときがある。使われた結果汚くなったのなら良いけど、放置された結果埃まみれになっているのだからたちが悪い。俺は極力息を吸わないように鼻をつまんだ。 俺が手にしていた箒をひったくって直行が掛ける。最後にちりとりを掛けて、掃除は終わった。 机の上に、逆さまにして載せられたイスを、二つほど下ろす。直行は机の上に腰掛け、もう一つ下ろした方の机を叩く。来いということなのだろう。俺も直行のように机に座ったが、足の長さが足りなくて格好悪かった。どうして机に座っているのに、足の裏が床に着くのだろう。バランス良くスラリと伸びる長い足は、プチモデルみたいだった(実際にモデルになるにはもっと身長がいるだろう)。 そろそろ日が傾いてきて、赤っぽい光が教室を指す。あー、何か青春の一コマっぽい。ほのかな感動を覚える。日に透けた直行の髪が赤々と光って、これもまた感動した。夕日の作り出す影もいい感じだ。もしここにカメラがあれば、間違いなくシャッターを押した。 ボーっとしていた俺の頬に、直行の手が触れる。ちりとりを持っていたせいか少し鉄臭い。それでいて、ヒンヤリとしていた。 「なぁ、俺のこと、嫌いじゃないって言ったよな?」 うなずく。確かに言った、長い髪は嫌いじゃない。うちの母は更年期障害かさっき言った台詞も忘れるが、おれはまだ現役バリバリだ。しかも文系だから記憶力にも多少自身はある。 「じゃあ、好き?」 言われて言葉に詰まる。幼馴染みを選ばせてくれない神様を、俺は憎らしく思う。憎らしく思うけど、……当の幼馴染みの方は? 「……考えたことなかった」 「は?」 直行は間抜けな声を出したが、本当に間抜けな話だ。嫌いではない。これは少なくとも確かだ。嫌いな人間と高校まで一緒にいられるはずがない。だけど、好きかどうかは考えたことがなかった。近所だということで強制的にセットにされた人間だ、好きだから一緒にいるわけではない。少なくとも嫌いではないから一緒にはいる。 「嫌いではない」 「あ、そう」 俺の答えに気が抜けたか、直行らしからぬふぬけた答えを返す。ここでいつもなら「間抜けだなー」くらいは言ってくるのだが。 そういえば今日は少し大人しかった気がする。いつもと違うと言えば違ったかも知れない。俺は机の上を降りて、直行の額に触れる。 「熱、あんの?」 俺的体感温度は三十六度八分といったところだ。まぁ普通かな? 「あ」 思いの外近くに顔があることに気づいた。赤い点に気が付く。 「ニキビめっけ! お前でもあるんだー」 何か思春期ってかんじだ。基本的に直行の肌は綺麗だから、ニキビなんてないのかと思っていた。完璧男の欠点を一つ見つけ、嬉しかった。何だか前よりも身近に感じられる。 確かに身近になった。背中に手が回ったかと思うと、いきなり前に力がかかってバランスを崩す。直行に何とか掴まって持ちこたえた。――手は冷たかったくせに、体温は温かい。やっぱりこいつ、熱があるのかもな。突然のことに視覚が放棄され、触覚だけで脳が働く。どこかの機能が欠けるとそれを補うために他の感覚が敏感になると聞くが、確かにそうだったのだ。 そして一瞬後には、自分で立証した感覚の補助効果を憎むこととなる。熱が一気に押し寄せた。唇に柔らかい物が触れた瞬間、一気に全身を興奮が駆けめぐる。心臓が跳ね上がった。 少し湿った、肌の感触。現在何が起きているか認識できないほど経験がないわけではない。だからこそ信じられない。信じたら何かが終わると思った。 それ以上に信じられないのは、自分の体がたまらなく快感を覚えていること。背中に走る震えは嫌悪でも悪寒でもない。ぽっかりと穴が空いた絶望感を抱えると同時に、満たされるような感情が芽生える。 強くふれあうだけのキス。直行ならもっと激しいキスの仕方を知っているだろう。別にどうと言うことない行為だと、言い聞かせた。そうしないと泣きそうな気分だった。 顔にかかる微かな息が離れていくと同時に、熱が引いた。だけどどこかで熱がくすぶっている。体が熱い。まだ直行にしがみついているからだろうか。 「お前、鼻息荒い。あと、熱い。風引いてんじゃねーの?」 「うるさい」 熱のせいか、迫力のない声になってしまった。直行が押し殺して笑う。俺の額に手を伸ばして、「少し熱いな」と言った。 何だよ。何だよ何だよ。 「熱計るために接吻するこたないだろ。そういうことはおなごを口説くときにやりなさい」 唇に手の甲を当てる。なぜかそのまま拭う気にはなれなかった。しかし体の熱はすっかり引いてしまって、逆にどうでもいい気分になってきた。 「何でそんな古風な口調なんですか」 「直行が軟派すぎるだけなりよ」 「よいではないか」 そう言って今度は軽く口づける。ああ、二回もやりやがって。俺なんか彼女にキスするまで一ヶ月は手を繋ぐだけだったのに。キスなんかそう頻繁にやらせてくれなかった。いい男はキスも上手いのか。 「すっごくくやしい」 「何で?」 「キスが上手いから。くそー、やり慣れてる奴はこれだからー!」 「もっとして欲しい?」 「もう結構!」 「残念」 直行はちろりと舌を出してにやりと笑った。その顔もやっぱり格好良くてやたらと気にくわなかったので、両頬をつまんだ。余分な肉がなくてつまみ甲斐がない。 こんなおふざけにつき合わされたんだから、何か代償を貰っても良いはずだ。うん。そう思って。まごまご訳の判らない言語を喚く直行の頬を引っぱって指から解放する。ぱちんと音が鳴った。 「このことはチャラにしてやるから女の子紹介しやがれ」 「何のことやら」 「つまらないおふざけにつき合ってやったんだから何か感謝の気持ちをよこせ。こんなコトされて殴らないのは俺だからであって、お前は幼馴染みだから特別に許すんだ。寛大だと思え」 本当、直行でなければ殴り倒す所だ。そして便所に行ってひたすら吐く。直行を引きずって酒でも飲みに行ってやる。 直行はしばらく考える仕草をする。本当はもう何か考えているのは知っている。ずっと口元が緩みっぱなしだ。俺のうさんくさそうな視線に気づいたのか、直行はすぐに考える振りを止めた。 直行が手招きをする。手を口元にあてていたので、耳打ちでもするのかと思って、耳を近づけた。 噛まれた。 「うひゃお?!」 噛まれたといっても強く噛まれたわけではないが、普通やられたら驚くだろう。言葉を期待していた俺にとって予想外であった。 俺の過剰反応を見て、直行はけたけたと笑っている。ちくしょう、他人事だと思いやがって。いつか仕返ししてやる! 復讐に燃える俺に対し、笑いっぱなしの直行は、笑いを止めることなく言う。 「まぁ、彼女がいなくて寂しくなったら俺に言いなさい。いつでも相手してあげるからv」 それは暗に、「お前に彼女なんかできないよーん」と言っているのか。判らないぞ、いるかも知れないだろ! 中学の彼女みたいな物好きが! 結局最後には直行に取られましたが! 「今に見てろよ、俺だっていい男になってやる!」 いつかいつか、キス一つなんて遊びだーって言えるくらいに修行を積んで、見返してやるんだ。判らないぞ、歳を取ってからもてるようになるかも知れない。ダンディーなおじさまとなって、わかかりし頃の直行がひれ伏す時が来るかも知れない。 人生長いぞ、これからだ。 こうして、長年後ろ姿を見続けた幼馴染みに、俺はやっと正面を向いて戦うことを決意する。生まれて間もない頃からの宿敵、直行に、宣戦布告したのだった。 END? 友達がお遊びで関係を迫ってくるー、という話を書きたかったのですが。何か違う気がします。もっとさらりとした話にしたかったのに、やる方もやられる方も詰めが甘いです。ああ、自分のイメージを上手く文章にできないもどかしさ。BL物は特に理想を追求するのが難しいです。 結局名前の出てこなかった主人公。次回も出てこないままです。さすがに考えないとまずいですよね……。まぁ、夢小説のノリで読んで下さい(投げやり)。 ということでどうでも良い企画ですが、「友人以上」の主人公の名前を募集しようとおもいます。「Web拍手」のコメント欄にご自分の考えた名前をフルネームで記入し、「もっと送る」ボタンを押せば完了です。2006年七月末まで募集しますが景品は名前を使ったSSを書くことくらいしか思いつきません……。 |