[橋]
群れる人



あまり、人と行動するのは好きではない。
自らが請け負う感覚や役割、欲求は、人それぞれ異なるものだからだ。
自分の行動は他人と違うはずである。
それをわざわざ他人に合わせることは、わずらわしい。
団体行動の場合はもちろん他人に合わせるべきだが、そうでないときには、他人に合わせる必要があるのかどうか。

たとえば、連れ添って御手洗いに行く。
若者、特に女子に多く見られる行動である。
わけがわからない。
不浄な場所にどうして他人を連れ込みたいと思うのだろうか。

幼稚園児が同じ事をしていた。
その習慣が十年経ってもまだついえないのだろうか。
三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

群れたがるのは人間の本能なのだろうか。
それとも日本人特有の奇妙な伝統と習性なのだろうか。
とにかく僕は無意味に他人と行動するのが嫌いだった。
他人とずっといると自分の領域が荒らされるような気分になって非常に不快である。
どんなに愛すべき人でも憎しみの対象になりうる。
必要な時だけたまに傍にいればいい。
適度に距離をとるのが最善なのだ。

僕の場合、人よりその距離が長いとは思う。
それも個人差の範ちゅうであろう。
基本的な原則は同じだ。
線を引いたある一定の空間は誰にも踏み入られたくない。
例え好きな人でも、相手が橋であってもだ。

その思いは今、揺らいでいる。

「満、トイレ行こう」
橋は僕に箒を手渡して言った。
毛先は存分に曲がっている。
使い古した父親の歯ブラシのようだ。
埃が絡まっていて、はたくと埃を吐き出す。
掃除しているのか汚しているのかわからなかった。
もはや新品の頃の姿など見る影もない。
全部が全部そんな調子なので、僕は気にするのを諦めた。
公立高校の備品などしょせんそんなものだ。

僕は掃除用具入れと橋の間に挟まれるようにして立っていた。
背には錆びた傷だらけの箱がずっしりとかまえている。
目の前には、緩やかに口の端を上げて微笑んでいる橋が立っていた。
何となく息苦しさを感じる。
逃げられない。
そんな雰囲気があった。

放課後、掃除も終えた頃合である。
僕の苗字は葉原だ。
友人の柊橋とは出席番号が近いので掃除当番は一緒だった。

掃除当番は単純に出席番号順に割り当てられる。
出席番号の前後は何かと顔を覚えておいた方が都合が良いため、クラスの中でも割に親しくなりやすいが、僕の出席番号の後ろが橋で本当に良かったと思う。
素晴らしい幸運だ。
この数奇な偶然に僕は運命を感じずにはいられない。

だが、橋以外の人員には恵まれなかった。
何のことはない教室掃除なのだが、僕は掃除の要領が悪いらしく、同じことをやっていても時間がかかる。
他の掃除当番は帰ってしまった。
こういった共同作業こそ他人に合わせるべきであろうに(僕がまだ掃除をしているということは、まだ汚いということなのだから)。
不可解な行動をするものである。
集団行動の能率と意味合いにおいてまったく矛盾している。

今ではおのおの部活動に参加しているだろう。
橋だけが友人のよしみで残ってくれていた。
本来ならば友人関係など関係ない。
これはほんの少しの責任感と意識の問題だ。

僕が掃除を終えるまで、橋がつき合ってくれたからといって、一緒に手洗いに行くかどうかは別の話だ。
生理現象はまさに個人のみに関する事であって、(健常者ならば)他人が関与する余地も必要性もない。

それに僕は今日早く帰るつもりであった。
僕はパソコン部に所属しているので明確な活動日というものがない。
橋と一緒に帰っているので、基本的には橋が部活のある日に情報処理室で時間をつぶしている。
橋は運動部に入っていたが、先日休日をつぶして他校との練習試合があったので、本日は代休をもらっていた。
だから今日は早く帰れる日だった。

帰れるつもりだったのに帰れないとなれば、あまり良いようには感じないものである。
とはいえ、家に帰ってする用もないのだが。
僕は揺らいでいた。
御手洗いに他人と一緒に入るつもりはない、入るつもりはないが。

「満、聞いてるのか?」
長身の体を折り曲げて僕の顔を覗き込んでくる。
運動をやっているせいかスタイルは良い。
細身だがしっかり筋肉はついていて、万年文科系の僕はまったくうらやむばかりだ。
年齢を考えればまだまだ伸びるだろう。
僕の方といえば、中学三年の頃伸びたきりぱったりと成長が止まってしまったので、さてこれからも伸びるのかどうか。

少し釣り目がちの黒い瞳にまっすぐ見つめられる。
この、緩やかなカーブを描くまぶたと奥二重がとてもきれいだと思う。
僕は橋の目を見るのが好きだった。
間近に橋の眼差しが迫って、思わず僕は三度ばかり頷いた。

力強いまなざし。
僕はこれに弱いのだ。
真正面から見つめられればたいていのことは聞いてしまう。
橋はまなざしだけでなく人間的にも強い。
無条件で正しいことを言っているような錯覚に陥る。
僕は他人の思想に頼らず、自分の中で自分なりの思想を持ち合わせているつもりではあるが、ある意味で僕は橋を信仰していた。

僕はしばし悩んだ。
悩んだが、僕の中で橋の位置が絶対的である以上答えは一つしかないように思える。
橋がこうだと言えば、僕の中でそれはそうでしかないのだ。

たっぷり数秒の間を置いて、僕は悩んだが、結局は「行く」と答えていた。

僕は橋のまなざしに弱い。
悩むべきことの一つである。



END

短すぎる話をどうしようかと思って色色不要な思考を沢山追加してしまった、私の典型的な小説のタイプを見事演出してした駄文です。
もとより主人公の奇妙奇天烈な思考回路と思想を思う存分に発揮した、ライトノベルと言うには少し微妙な作品にしようと思って始めたシリーズではあるのですが。
台詞がどうにも少ないです。
昔はあんなに台詞だらけの小説を書いていたのに。
半年経つと画風ががらりと変わってしまうように、文体もけっこう変わるものらしいです。



モドル