「恋×恋×恋」
失恋は 酒と一緒に流し込め タブを引き上げると、空気の抜ける音と共にほろ苦い大麦の香りが飛びだした。缶に口を付けて、ビールをあおる。少し上を向いて一気に飲み干す。アゴから喉にかけての綺麗なラインが、蛍光灯の元にさらされる。喉仏が動くのをじっと見つめていると、恵一がビールを飲み込む音まで聞こえるように思えた。 缶から口を放すと、恵一は気持ちよさそうに息を吐く。吐息はどことなくアルコールくさい。俺もあいつも、もう三缶目に入っていた。それなりに酔いが回っているはずだ。頬は赤く染まっていて、緊張感なく緩んでいた。 「長谷川〜、俺、次こそは頑張るから!」 缶を床に置いて、恵一が俺の肩により掛かってくる。酔っているせいか、触れ合う肌は暖かい。 酔っぱらいの体は重い。しかも中学・高校と陸上をやっていた恵一は、それなりに体格が良い。身長だけなら俺の方がやや勝っているが、体格はどっこいどっこいだ。体重を預けられた俺の上体は重みに耐えきれずに傾く。 力が抜けてだらんとしている恵一の身体を肩で押す。恵一はだだをこねるように身体を揺すって俺の胸に入り込んできた。 まるで甘える子供みたいだ。恵一は失恋するといつもこうだ。俺は抵抗するのを諦めて恵一の頭をなでてやる。肩に押しつけられた恵一の顔が笑うのを感じた。 陣内恵一、彼は恋に恋する男である。好きになるのは必ず恋をしている女の子。彼いわく、目を見ればその子が恋をしているかどうかが判ってしまうらしいのだ。 恋をする女の子が魅力的であるのは理解できる。恋をすると人は変わる。女の子は美しくなる。恋をしている、一番綺麗な瞬間の女の子に恋をするのも仕方がない。だが、不毛だ。 「頑張るって、何に頑張る気だよ。恋敵に女の子を譲ることか?」 嫌みをたっぷり含んだ俺の言葉に、恵一は情けないうめき声を上げる。 飲みかけのビールを恵一が寄りかかっていない方の手に持ち替えて口を付ける。苦みが舌の上に載った。こいつの心みたいな味だと思った。 「どうしてお前は好きになった子を無理矢理手に入れるくらいのことができないんだ。恋のキューピットになってどうする」 間近にある耳たぶを引っ張って、声を張り上げる。ピアスの穴が微かに指に触れた。恵一は耳を塞いで俺の肩からずり落ちていった。反論できずに、唇をとがらせる。 高校時代から現在まで、通算四年ほど恵一の友人をやってきたが、恵一の恋が実ったケースは一、二件しか聞いたことがない。一人の彼女をとても大事にすると言えば聞こえは良いが、実際はとんでもないお人好しなだけだ。 恋する乙女には当然恋する相手がいる。恵一はまず、恋のキューピットとして、その子に近付く。好きな子に接近する手段としては悪くない戦法だ。自分がちゃんと告白できるんだったら。 間抜けなことに、恵一は好きな子のために一生懸命頑張る。すると、女の子の恋は成就していく。違う男の恋人となって、恵一の前から去っていくのだ。 お人好しだから恵一は言えないのだ。好きな人だけを見つめる少女に、横恋慕のような気持ちを伝えることなんてできない。恋が失敗したりして、一生懸命尽くす恵一を好きになってくれた女の子は、わずかだ。 そろそろ恵一も気付けば良いんだ。自分がやっていることは無意味なんだって。「君の幸せこそが俺の幸せなんだ」なんてきれい事はいらない。自分のために一生懸命になればいい。 そうでなければ、俺が甘えてしまうから。 「俺としても困ってるんだぞ? 俺とくっつけようとして」 「お前がもてるのが悪い」 恵一はあぐらをかく俺の足に頭を載せて呟く。伏せ目がちの目は少しすねているみたいだった。 何故か恵一が好きになる子は俺を好きであることが多い。いつも俺と一緒にいるから俺を好きな女の子と遭遇しやすいのだろう。もちろん俺のせいなどではない。親譲りの顔は多少整っているらしいが、性格ははっきり言ってよろしくない。好きでもない奴にこびたことなどない。好きになるのは向こうの勝手だ。 足を揺らして俺の不満を訴える。恵一の頭が足の上からずり落ちた。床に激突して鈍い音を立てる。後頭部を押さえて恵一がうずくまった。 「下の階に響くだろ」 鋭い視線が返ってきた。床に転がっている人間ににらまれたって怖くない。それに俺の部屋じゃないから別に良いんだ。男二人の失恋パーティーはどちらかの部屋でやるのが習わしである。前回は俺の部屋だったから、今回は恵一の番だ。 前髪が横に流れて恵一のおでこが露わになる。俺は眉間の辺りに軽くてこピンを食らわせてやった。恵一の瞳が強く閉じられる。 「恵一の方が悪いんだ。俺にはちゃんと好きな子がいるって言ってるだろ」 「でも俺はそれが誰なのか聞いたことがない」 恵一は身体を横に転がして視線を逸らす。その目がやけに真剣だったので、俺も思わず口元から笑みを消した。 親友とも言える俺が秘密を作っているのが不服なのだ。恵一は俺に恋をするたび報告しているというのに、俺はいつも何も言わない。俺が好きな子がいると宣言してから二年。肝心の名前はまだ言っていない。 「今でもずっと、同じ子のことが好きなのか?」 頭を傾けて、恵一が横目で視線を投げかける。俺は無言で頷いた。 「俺は協力できないのか?」 俺は恵一に聞こえない程度に、浅くため息をつく。恵一にうち明けたら、それが最後だ。たぶん、俺にとって最悪のバッドエンドがやってくる。 なぁ、恵一。俺が何を言っても嫌いにならないか? 離れていったりしないか? 恵一なら「ずっと友達でいる」と答えてくれるかもしれない。でもそれは絶対ではない。怖いんだ。俺は怖くて言えないんだ。 何度も言おうとしたのだと、恵一は知っているのだろうか。隠しておくのは苦しくて、何度も解放されたいと思った。そのたびに恐怖がかすめて、言葉を粉々にうち消してしまう。 ――俺が同性愛者だと判っても、傍にいてくれるか? 俺は恵一の顔を凝視した。そうすれば恵一の思いが見えるんじゃないかと思った。頭の中に飛び込んでくるのは、自分が作り上げた幻聴ばかり。良い言葉も悪言葉も、結局は俺の妄想の産物であり、何の意味もなさない。現実には何の影響も与えないのだ。 考えるばかりでは前に進めないと判っている。それでも俺は怖いんだ。 恵一が優しいから。言えないままの俺を、許してくれるから。それに甘えて、俺は横ばいを続ける。 「……いい加減恋のキューピットは卒業しろよ」 結局俺はまた目をそらした。現状を何も変えないまま逃げ続ける。どんどん悪くなると判っていても、終わりが来るそのときまで。 恵一は腕を振り上げて起きあがった。何の前ぶりもない恵一の行動に、俺はびっくりする。恵一が肩越しに俺をにらみつけた。心臓が縮小する。 脇に置いてあった缶をひっつかんで、残っていたビールを一気にあおる。何も言わない恵一は不気味だった。見えない怒りが渦巻いている。やばい、と何となく察して、恵一の腕を掴んだ。 恵一の口から缶が離れる。残ったビールがあふれ出した金色の液体が恵一の口元を流れていく。白いトレーナーに染みを作った。 肺の方に水が入ってしまったのだろう、恵一が激しく咳き込む。肺の中の空気が全部なくなってしまうんじゃないかと思うほど息を吐き続けた。身体をいっぱいに折り曲げてうずくまる。すごく苦しそうで、俺は背中を丁寧にさすった。 「大丈夫か?」 恵一はすぐに首を横に振る。「大丈夫なもんか」咳き込みながらも声を出したので、俺は胸をなで下ろした。 数回咳き込んでから顔を上げる。喉に違和感が残っているのか、喉元をさすっている。濡れた襟元が鎖骨にへばりついていた。鎖骨の凹凸がきらめいてドキリとする。 「お前、判ってるのか?」 ゆっくりと俺の方を振り向いて、恵一が呟く。真っ直ぐに俺を見る黒い瞳に短く息を漏らす。この目を見るたびに好きだと思ってしまう。本人は至極真面目な状態であり、そんなことを思っては不謹慎だと思いながら、俺は幸せな気持ちになるのだ。お人好しで他人のことに精一杯な恵一は、俺が何度もこの瞳に救われたことを知らないに違いない。 「俺は見ていられない。長谷川はいつも苦しそうだ」 手が熱くなった。視線を落とすと、恵一が俺の手を握りしめている。逃げないようにしっかり捕まえられていた。俺は手を握り返した。 「俺は大丈夫だよ」 恵一の手を揺らしながら口を開く。恵一の指は太めだけど綺麗だ。こいつのことが好きだからそう思えるのかもしれない。好きになってしまえば好みなんて関係なくなるもんだ。 恵一は美形でも何でもないし、スポーツも勉強もそこそこだ。目は少し大きめだけど平凡な顔だ。人当たりは良いけれど知人には少しわがままだ。特に俺に対しては。 だけどそこが良い。好きだから全部が良く見える。欠点さえも隙間なく俺の気持ちをかき立てる。俺は恵一の傍にいるだけで幸せになれる。 「俺は恵一が傍にいてくれたらそれで良いから」 腕を引き寄せる。恵一の身体は簡単に傾いて、俺の腕にすっぽりと収まった。背中に腕を回しで抱きしめる。くっついた頬はビールでベトベトしていた。肩胛骨の凹凸を指でなぞる。くすぐったかったのか、恵一が腕の中で動いた。 「歯の浮くようなセリフ……」 呆れたように呟く。小さなため息が耳元で聞こえた。本人は聞こえないようにやっているつもりでも、ここまで至近距離ならさすがに聞こえる。小声で俺の言葉を繰り返して、吹き出した。 「サイコー!」 俺の背中をばしばし叩いて笑い転げる。ハッキリ言ってうるさい。もしかしたら笑い上戸なのかもしれない。 まったく、ムードのかけらもありゃしない。最初から期待なんてしていなかったけれど。 このまま押し倒したいとかせめてキスくらいしておきたいとか思ったが、告白する勇気すらない俺だ。妄想だけ味わっておくことにする。 お前が恋から解放されている今だけは、俺が一番お前の近くにいるって信じたい。恵一を強く抱きしめて、恵一のにおいを嗅ぐ。アルコールくさくて俺も笑えてきた。 END 恋に恋する男に恋する男。略して恋3。別に三角関係の話ではありません(ある意味三角関係ですが)。くさいセリフを書きたいがために書きました。 ビールを飲む描写がありますが、この作品を書いている時点で管理人が未成年のため想像で書いています。お酒は二十歳になってから。 室内描写が余り書けなかったことが残念です。家の中は絵でも文でも描写しがたいです……。 |