[友人以上]
完敗宣言 どこから間違ってたかー、なんて俺には判らない。現在とは過去の積み重ねであり、その過去は振り返ることなどできない。どの過去の分岐点で間違っていたとしても、そこに戻ってやり直すことはできない。俺には何処で間違っていたかは判らないし、それを知る術もない。 単純に言えば、あの教室掃除の時から間違っていたのだと思う。しかし俺と直行は幼馴染みだ。家が近所で、小中高と同じ学校で、ずっと一緒に登校してきた。その時点から間違っていた可能性だってあるのだ。 少なくとも今変わらない現状は、直行の舌が俺の口内に入ってきているということ。それと、もうこの行為は日常的に慣れた物であるということだけだ。 「な……お」 どこかに残った理性が現状を止めようと声を漏らす。微かに開いた隙間から、どちらの物とも判らぬ唾液が零れる。口付けがさらに深くなって、俺は息が詰まった。直行の膝の上に座っているから、直行が俺の背中を強く抱きしめれば、俺は従うしかない。背中にある手がケツに伸びようとも、股間に伸びようとも、抵抗する術がなかった。 放課後の教室で、部活に入っていない俺たちは、二人きりでディープキスの練習をしていた。宣言しておく。これはあくまで練習なんだ。俺と直行は同性愛者ではないし、つき合っているわけでもない。ならどうしてこんなことをしているかと問われれば、練習だとしか答えようがない。 お前よりいい男になってやる。俺がそう宣言したのは、二ヶ月前の教室掃除の時だった。まだ高校に入り立てで、真面目に掃除当番をしていた。誰もいなくなった教室で、二人で寂しく床を掃いていた。 その時、場のノリで直行が俺にキスをしてきた。直行は格好いいし軟派だし、高校一年生にして百戦錬磨であったが、俺はウブだった。だからそのキスが、遊びと判ってはいても悔しかった。 だから俺は宣戦布告したのだ。お前よりいい男になってやると。 以来、教室で二人きりになる機会があれば直行はキスをしてきた。 「取りあえず練習しておかないと」 そんなことを言いながら、俺をからかいたいだけだと思う。しかし長年直行の影で生きてきた俺が敵うわけもなく、あれよあれよと言う間に言う通りにされてしまう。 まだ良いのは、人目を避けてくれていることだ。人前でふざけるようなことはしていない。今だって教室のドアを前後両方きっちり閉めている。律儀に鍵まで閉めている。その上人が来たときに言い訳できるよう、家から持ってきたビールの空き缶とタバコまで用意していた。実際に飲酒喫煙はしていない。 さすがに初夏の現在窓は閉めておくわけにもいかず、開け放しにしてある。外から部活をやる声が聞こえて妙に気恥ずかしい。三階だから見えはしないのだけれど。 カーテンははためくのがうざったいからという理由で縛られている。教室に日が差すので、日に当たらないようやや廊下側の席に直行は腰掛けていた。腰掛けているのは直行だけである。俺は直行の上で、直行の方を向いて座っている。その方がキスがしやすいと直行が主張したからだ。経験の浅い俺は反論のしようもない。 ただ、これだと俺が直行に密着するときに互いの股間が当たる。何か硬くなっているような気がしてどうも落ち着かない。それを気にし出すと、感覚が妙に敏感になって仕方がなかった。 今はまだ浅めに座っているから良いが、その代わり直行のセクハラを受けている。股間をなで回しながらキスするのは止めて欲しい。上と下の刺激で本当にやばい。幾ら何でも、そのまま射精するわけにもいかず、俺は耐えていなければならなかった。 「や……め……」 空気の泡が胃に入る。上手く言葉が発音できない。それを良いことに、何も聞こえない振りをして直行は俺の後頭部を押しつける。完全に口が塞がれた。 口内をざらざらした物が動き回る。俺の舌に絡みつくような動きに、意識が一瞬遠ざかる。心臓が締め付けられっぱなしで痛い。唾液が混ざる音が頭の中に大きく響いた。 動こうにも元々不安定な所にいるせいで動けない。直行の手が俺の股間をまさぐっているからなおさらだ。快感から逃げたいのに、逃げられない。逃げようとしても追ってくる。 制服のズボンのジッパーが下ろされ、背中が跳ね上がる。直行の指が俺の物に触れた。いつもより鮮明な感覚に、少しでも遠くに逃げようと背中が丸まる。 直行の口もとが微かに動いた。笑っているんだろう。すでに精液が漏れ始めているのは自分でも判る。余裕なんて全然無い。直行のペースにはめられているのを感じて、悔しかった。 指の腹が性器の先端を撫でる。思わず声を漏らしたが、直行の口の中に吸い込まれただけだった。少しキスが浅くなる。指が俺の物を掴んだとき、今度は間違いなく声が出た。 「あっ」 キスで湿った声に気恥ずかしくなる。俺を押さえつけている方の直行の手が、後頭部を撫でる。保父さんに「いいこいいこ」されている気分だった。保父さんが子供にこんなコトしたら間違いなく虐待だが。 唇が離される。突然のことに口が閉じられなくて、唾液が漏れる。唾液の糸が引く。直行は俺の後頭部を持って顔を上向きにさせ、唾液を丁寧に舐め取る。う、よくこんなことができるな。汚くないのか。そう思いつつも何かいやらしい気持ちになってしまって戸惑った。 「うん、可愛いからこれでおしまい。俺もそろそろやばくなってきたし?」 中途半端に熱を放され、辛かった。ここで終わりかよと非難したくもあったが、むしろやっと終わったと喜ぶべき場面だと思った。 「何か段々長くなってるし。苦しい。もっと短くしろ」 自分が「これからもキスしてくれ」というニュアンスの言葉を吐いたことに気づかなかった。直行が「してやたっり」という顔をする。 「やだ。だったら俺に勝てば良いんだよ。俺が主導権握っている訳じゃないんだよー? 頑張れよ」 勝てばいいじゃん。反論できなくて言葉に詰まった。そうだ、認めたくないけど、俺は負けっぱなしだった。キスしてへろへろになるのは、いつも俺なのだ。やっとキスされても平気になったかと思えば、どんどん深くなっていく。愛撫が加わる。ハードになっていく口付けに、俺はどうしても追いつけなかった。 下唇を上に上げ、拗ねた顔をしていると、直行は軽くキスしてくる。唇を舐められて、思わずどきっとした。手のひらで顔面を押さえてうつむく。 「くそー」 また勝てない。悔しくて、直行の胸をどんと叩いた。 「女の子としては最高だと思うけど」 「誉めてない」 「良いじゃん別に。俺の女になっちゃえば」 「嫌だよ」 「うわー、酷い。俺ふられたー」 くつくつと笑って、俺の背中を抱く。優しく撫でられれば、気持ちよかった。ディープキスよりも、撫でられる方が好きだ。 「んー」 「お前は甘えん坊だなー」 強く抱きしめられて、俺は直行の肩に顔を埋める。直行の匂いは嗅ぎ慣れているはずなのに、近くに来ると改めて「直行の匂いだー」と思ってしまう。とても安心する匂いだった。 直行が女性に見せる「男の顔」はむかつくけど、友達に見せる「直行の顔」は好きだった。キスしているときは「男の顔」が見えるから好きじゃない。「直行の顔」が見える今の方が断然良い。 「あの、さ」 「何だい?」 「俺とずっと友達でいてくれる?」 少しだけ空く、間。直行が俺の体を離す。一瞬辛そうな顔が見えて、血液が一気に下がった。しかしすぐにいつもの作ったような笑顔に変わって、「良いよ」とつなげる。 「残酷だけど仕方がないか」 「は?」 「君と一緒にいるためには」 直行は俺のさして長くもない前髪をかき上げる。直行の手で視界が遮られた。ようやく正面が見えたら、とても優しい顔をした直行と視線がぶつかった。 「それでもいいや」 小さい頃から劣等感を感じ続けながら、どうしても嫌いになれなかった。たぶん直行は、一番優しいから。俺がどんなに怒ったって、全部受け止めてくれた。その分俺もワガママを聞いてやらなきゃいけなかったけど、一番安定した場所だったんだ。 優しい顔のまま、俺に口づける。男の顔をしている直行よりよっぽどいい男で、俺はすっかり赤くなってしまった。その顔を見られるのがしゃくで、直行の顔が離れたらすぐに直行の胸に顔を埋める。 また負けた。だけど、胸の中に悔しさはなくて、高揚感で一杯だった。格好いい格好いい格好いい。優しい直行の顔とキスを何度も頭の中で繰り返しては、心地よい鼓動を感じていた。 「大丈夫か?」 「平気!」 優しい声が降りてきて、また参ってしまう。本気で心配しているからこその声だと判っていても、嬉しくてまた言ってくれないかな、とか思ってしまう。失礼なことだとは判っていても、この胸の高鳴りには逆らえなかった。 どうしよう。マジでおかしい。直行にキスされて嬉しいなんて思ったのは初めてだ。こんなに幸せな気持ちになったのは初めてだ。 唐突に、キスってこういうもんなんだって思った。したいとかそういう欲求でするものではなく、相手のことを思って、気持ちを込める。そういうキスは本当に気持ちがいいんだ。 ある意味一つの成長ではあったが、問題は、俺の胸のときめきが止まらないこと。直行のあの優しいキスが、何度も何度も欲しいって思ってしまう時点で、俺は完敗なんだと思う。 どうしよう俺。直行のこと、本気で好きになっちゃうかも知れない。 顔を上げて直行を見上げると、どうしたらいいのか判らずに困っていた。取りあえず俺の頭を撫でてみるが、反応がないので、直行も無言だった。 俺のことを本気で心配してくれる、優しい直行の顔。どうにも嬉しくて、にやけた笑いをしてしまった。そして自分の衝動を抑えられなくて、背筋を伸ばす。軽く唇が触れた瞬間、またあの高揚感が蘇った。 ダメだ。認めるしかない。俺は直行に惚れてしまったんだ。 心地よい敗北感。俺は白旗を胸に掲げて、完敗宣言をした。 「なぁ、直行一緒に帰ろう」 「いや、ちょっと便所行って来る」 「そうか? じゃあ俺も」 「いや、長くなるから!」 「腹の調子でも悪いのか?」 「そうじゃないんだけど」 「だったら便所の前で待ってるよ。調子悪かったら言えよな。五分くらいで駆けつけるよ」 「便所の前で待ってる割には遅いな」 「保健室の先生が」 「お前は来ないのかよ!」 「冗談です」 「……もう良いです、マジで」 「とにかくさっさと行ってらっしゃい。校門で待っているから」 「わかりまーしたー」 言葉を交わして、俺は便所にダッシュする。これ以上一緒にいたら絶対に身が持たない! と判断したからだ。校門をうっかり肛門と脳内変換してしまって悶えているくらいだ。俺は女性関係は確かに乱れているが、それだからこそプラトニックを突き通したい……既に理由をこじつけてキスしてるけど。 俺の勝ち、とか言っておいて、本当は毎回キスした後にものすごくその先に進みたい欲求をこらえていた。完全に負けていたのは、俺の方だった。 だけど、あいつキスしただけで本当に可愛すぎ! 何であんなに腰砕けになってるんだよ! しかも、友達とキスしてても何にも疑問に思わないし。おかしいだろ、明らかに。そこにつけ込んで毎日唇をおいしくいただいちゃってるわけですが。 キスした後にあくまで強情なのも可愛かった。おまけに故意ではなく天然なのだ。どれだけ押し倒したい衝動を我慢したことだ。今日だって中途半端な所で止めたのは、理性が持たなかったから。本当に危ない所だった。 しかし、今日はさらに甘えてくるものだから困った。いや、嬉しかった。幸福感に包まれ「押し倒したい!」という衝動とはまた別物だったけど、心の中で「可愛い」とか「好きだ」とか呪文のように延々と唱えていた。 しかも最後! 革命的なことに、何とあいつの方からキスをしてきた。その時の天使のような微笑みといったら、拉致監禁したくなるほど可愛かった。ほのかに頬を染めて、幸せいっぱいに笑うのだ。それが自分の目の前にあったものだから、俺は感動で泣き出すかと思った。同時に、絶対手を出さないと誓わざるを得なくなった。 一生大切にしてやる。友達のままでも良い。一生側にいて、絶対幸せにしてやるんだ。それが、伴侶としては一緒にいられない俺の永遠の誓い。日本の法律じゃ結婚もできないし、男の俺が振り向かせることもできないだろう。だけど幸せにすることはできるんだ。それだけが俺に残された最後の愛し方だった。 今はキスだけで満足しているけど、いつかちゃんと幸せにするためにすてきな男になってやる。 身も心も将来も捧げて良いほど、惚れ込んでいるんだ。本当は俺の方が最初から負けていたのかも知れない。俺にはうち負かす気もないから、きっと永遠に勝てないままなのだろう。 もう一度惚れ直した今日この日に掲げてやるよ。お前には一生勝てないだろうっていう。 完敗宣言を。 END? 結局は両思いになりました。ああ、恋愛なんてこんなに上手くいくわけないだろ! と思いつつご都合主義になってしまいます。でもこの二人、きっとつきあい始めるのはまだ先でしょう。そしてつきあい始めても直行は二十歳までは出手を出しません。最近何だかプラトニック主義です……。 この話、一体何回キスしてるんでしょう。もうキスだらけです。キスの話です。友達同士言ってるのに何てコトでしょう。 いつか友達同士の恋愛が絡まないおふざけが書きたいです。 |