[避暑地]
人間が周囲にどれだけの影響を与えているのか、大いに多い知らされる。たとえば夏の個室。人が一人増えただけで、部屋の中はとたんに熱気と悩ましげにからみつく湿気に満たされるのだ。 「……暑いんだけど」 その増加した一人に対して訴える。反応はない。そいつが寝転がっているベッドを思い切り蹴飛ばした。足の裏に木がきしむ感触が伝わってくる。派手な音と共に、鈍い振動が窓ガラスを小刻みに揺らす。ベッドの上の足が跳ねた。 「何やねん」 足を下ろす代わりにほんの少しだけ顔を上げて、勇也がこちらを見る。そう言いたいのは俺の方だ。ここは俺の部屋で、奴の部屋は向かいの隣。当然勇也が寝転がっているベッドは俺のベッドだ。 温度計を飾っておけば良かったと思った。そうすれば勇也のせいでどれだけ部屋の温度が上がったのか立証できる。数字というか勉強全般に弱い勇也は、グラフを見せつければ素直にどいてくれるだろう。 そもそもそんな広い部屋ではない。俺が無趣味であるせいで必要最低限の物しか置いていないが、本棚にベッド、勉強机を置いてしまえば、六畳程度の部屋はすぐに埋まってしまうのだ。さらに小柄ではない勇也を収納すると狭苦しいことこの上ない。しかも鍛え上げられたアスリートの身体を見ていると無条件で暑さが倍増するという素敵な得点つきだ。暑いというよりもはや熱い。 発熱している当の本人はとっくにオーバーヒートしているらしく、先ほどまでうちわを扇いでいた手も動かない。水色のうちわが、白いシーツの中に主人と同じようにして力無く横たわる。近所の祭りの宣伝文句だけが、威勢良く書き殴られていた。 部活帰りとはいえ、帰ってすぐシャワーを浴びていたはずなのに、ベッド脇に放り出される足は汗で照り輝いていた。鍛えている成果か筋肉の凹凸がくっきりと影を作る。春に出会った頃よりもだいぶ黒くなったようで、俺の白い肌と比べると夏と冬くらいの差があった。剣道はほぼ全身を防具で覆ってしまうのでいたしかたがない。 勇也の足の裏を撫でた。勇也の足が十センチほど浮いて抵抗を示す。暑さの前では鍛え上げられた肉体も弱々しい。完全にダウンしている。俺はついに勇也を排除することを諦めて勇也の横、ベッドに腰を下ろした。 うちわを拾い上げて勇也を扇いでやる。ティーシャツの裾は、汗で肌にへばりついているため、はためかない。白い生地にうっすらと肌の色が透けて見えた。 窓から風が入ってきて、カーテンが揺れる。カーテンの金具が賑やかな音を鳴らした。裾が一回二回、窓から遠のいたり引き寄せられたりして、大人しくなる。まだ乾ききっていない勇也の髪が重たげに動いた。 「涼しい」 勇也の口元が弧を描く。頬を汗が流れていった。 「お前の部屋、何か涼しかない?」 「気のせいだ」 手を動かしていると俺の方まで暑くなってくる。腕を動かすのは部活でよくやっていることなので疲れない。俺はうちわを自分の方へ向けて扇ぐ。気のせいか風が汗くさい。 施設の北東にある俺の部屋は、確かに他の部屋よりは涼しい。日が傾いてはいるがまだ高い位置にあるこの時間帯も、俺の部屋には日が差し込まない。少なくとも南側にある勇也の部屋よりは涼しいのだろう。その代わり冬は寒いけれど、寒いのが好きな俺はあえてこの位置を選んだ。 うちわを勇也の顔の上に投げ捨てる。小気味良い音と勇也の小さな悲鳴が聞こえた。ベッドの脇にあるタンスの中から、タオルを引っ張り出す。部活でよく使うので、タンスの一番上、とりやすい位置にしまってあった。それを勇也の顔の上にさらに投げつける。タオルは宙でひらりと弧を描きつつ勇也の上に着地する。 うちわを掴んで文句を言おうとした勇也の口が閉じる。代わりにタオルで顔面を拭った。 「おーきに」 汗を拭いたら少しは気分が回復したのか、勇也は身を起こした。うちわで自分を扇ぎ始める。うちわの裏と表が交互に見えてちかちかと瞬いた。 「俺がこんなに汗だくやのに、どうして雪夜は涼しげ何やろな」 ティーシャツの中に風を送り込みながら、勇也がぼやく。馬鹿言え、俺だって暑い。特にお前のせいで。 多分汗をかいていないからそう見えるのだろう。俺はあまり汗をかかない体質らしい。運動すれば当然汗は出るが、勇也のように汗が噴き出すことはない。 俺の手に熱気がからみついた。何事かと思ったら、勇也が俺の手を掴んでいた。勇也の厳つい手と比べると、俺の手は子供みたいに見えた。何故か勇也の方が驚いた顔をしている。 「えらい冷たい」 そのまま腕を引かれれば、座っている勇也の方が姿勢的に安定しているわけで。俺の身体は前のめりになり、勇也の手が肘の辺りに上ってくる。 「ヒンヤリしとって気持ちよか」 俺はアイスノンか。人より体温が低いとはいえ、あからさまに冷たいわけがない。体温なんて違ったってせいぜい一度くらいだ。 勇也は熱かった。骨から熱が発生しているのかと思えるほど、じんわりと暖かさがにじみ出ている。不思議と不快な熱さではない。指先の血流が活発になって、血管がどくどくいうのが判る。 俺は仕返しと言わんばかりに、勇也に向かって倒れかかった。勇也の厚い胸板が俺を受け止める。勇也の声が間近に聞こえた。低くて威勢のいい声が飛び込んでくる。 「お前、何」 「涼しいか?」 逆に聞いてみせると、勇也は言葉に詰まった。涼しいわけはないだろう。勇也の頸動脈が小刻みに脈打っているのが判る。心なしか先ほどよりも体温が上がっているように感じられた。 勇也の視線は、今頃宙を泳いでいるだろう。口はだらしなく開いていて、何かを言おうと開いたり閉じたりしているのだろう。単純な勇也のことだ、容易に想像できて、俺はおかしくなった。 「暑いんなら離れるけど」 「暑かない」 とっさに答えてしまったのだろう、言った後で、勇也の喉が震えた。「あ、いやぁ」と、言葉にならない単語が泳いでいる。 しばらくして、勇也が黙る。俺も勇也も半袖なので、肌の触れる面積は多い。肌が触れている部分にじんわりと汗が滲みだしてきた。 勇也の指が俺のシャツの横を掴む。へたれだから背中に腕を回すまでには至らない。顔はきっと真っ赤なのだろう。隠すようにして勇也がうつむくと、あごが俺の肩に触れた。 俺もいい加減暑い。でもしばらくこのままでいても良いかなと思った。 冷やすのは風に任せて、俺たちは太陽のように暖め合おう。カーテンが大きくはためいて、俺たちの身体をすっぽり覆い隠した。 FIN. 日暮園の夏の一コマです。雪夜の部屋は一番涼しい位置にあるので、夏は誰かしらよりついているんじゃないかかなという妄想。雪夜が帰宅してみると必ず誰かが寝っ転がっているとか。私の部屋は四畳半で南向きなので、夏はサウナのように熱がこもります……。北向きの部屋は涼しい! 私の中の勇雪は「一方通行だけど相互的な愛情」です。勇也は雪夜が好きだけど、雪夜の方は家族として勇也が好き。どうせ勇也は手も出せないへたれですから(コラ)、「家族としての好き」くらいが受け止めやすくて丁度良いんじゃないかと思います。 |